インタビュー適応策Vol.46 特別対談 井田寛子 × 肱岡靖明

A-PLAT開設から7年を振り返って
気候変動に関する報道と、情報プラットフォームの在り方を考える

取材日 2023/8/31
対象 気象予報士・キャスター 井田寛子
国立環境研究所 気候変動適応センター センター長 肱岡靖明

熱中症や災害に対して、個人で取り組める適応策はたくさんある

井田:今年の夏は暑いですね。私にはいま5歳と3歳の娘がいるのですが、とにかく外で遊ばせられないんですよ。水遊びもできないし、プールにも入れません。身をもってこの夏の暑さを体感しているのですが、最近渋谷区で、高架下が再開発されたんです。いままで駐輪場だったところに屋根がついて、カフェスペースやレンタルスペースなどができ、トイレもあって、外の木陰でお弁当も食べられます。子どもがいるとずっと室内で遊ぶのは不可能なので、外にもそういう場所があるとすごく助かるんですよ。木陰や緑をうまく利用したスペースが、最近ちょっと増えてきている気がします。それらを利用して適応しつつ、なんとか子どもと遊んでいるところです。肱岡さんは適応していますか?

肱岡:してますよ。ひたすら自転車で通勤して、お昼は野球して汗かいて。

井田:野球ですか?

肱岡:はい。土日に試合があるのですが、朝10時にスタートすると、正午になるともう立っているだけで大変なんです。いかに自分を暑さに慣らしておくか、という勝負です。

井田:そうですよね。

肱岡:適応策といえば、ご自宅のハザードマップを見るという方法もありますが、見ていますか?

井田:それはもちろん、災害に関する適応はやりますね。私が住んでいるところは、ちょっと地盤が高いんです。都内にも浸水区域はいっぱいありますが、建物が建っていて、新しく引っ越して来る人たちはあまりその地で起きた過去の災害もよくわかっていないんです。「ハザードマップ見てますか?」と聞いても、みんなほとんど見ていないですね。私は発言する立場なので、自分の住まいと実家がある埼玉のハザードマップは見ています。それは災害に対する最低限の適応策ですよね。

肱岡:そうですね。たとえば住む場所は大丈夫でも、最近は台風による災害で停電が起きる場合もありますよね。そうすると、夏は熱中症が増えてしまいます。高いところに住んでいても、停電があったときに数日過ごせるか、といった備えも大事ですよね。水、食べ物、充電。暑い部屋でどう過ごすか。

井田:一応、そのあたりも対策しています。

肱岡:バッチリじゃないですか。それをみんながやってくれていたらいいのですが。私のなかで、それは適応の最初のステップ。考えて、買っておいて、万が一起きたときにどう逃げるか。もしくはご自宅が大丈夫だったらそこでどう過ごすか。熱中症と災害は、個人でできる対策がいっぱいありますね。

発信者のひとりとして、話を聞いてもらうために専門性を身につけたい

肱岡:そういえば最近、修士号を取られたそうですね。おめでとうございます。

井田:ありがとうございます。

肱岡:どういう研究をされましたか?

井田:気候変動問題について、日本のテレビ放送がどのように伝えてきたかをテーマに研究しました。実はずっとテレビで仕事をしながら、博士号を取りたいと思っていたんです。きっかけは、2014年に番組のなかで取材した、ニューヨークで開かれた国連気候サミットです。2015年にパリ協定、COP21を控えていて、2014年は気候変動対策が盛り上がっていたんですね。9月に国連気候サミットが開かれることになり、世界気象機関が各国の気象キャスターを招いてワークショップをやりましょう、と声かけてくださったんです。それに私も参加したいと番組に提案したら、国連気候サミットの取材と一緒に行けることになりました。気象予報士が単独で海外取材というのは結構珍しいことだと思うのですが、そのときは番組も気候変動について伝えることに力を入れていたので、実現したんですね。

今までは気象について、災害も含めて比較的短いスパンのことを見てきましたが、ニューヨークに行って、その背景にある地球温暖化というものに対する日本の遅れを感じたんですよ。とにかくデモ行進の人数も多いし、研究者だけでなく教育関係者、若者など、多くの人が本気になって声を出していました。これは気象予報士として、日本に帰ったあとに何かやらなければいけないと感じたんですね。そのときに、気象予報士は地球温暖化や気候変動の専門家ではないし、今から科学者になることはできないけれど、それを伝えるひとりとして、もうちょっと専門的な知識を取得しなければ、誰も私の発言を聞いてくれないな、と思ったんです。

実際そのワークショップにもIPCCの関係者や海外の科学者が参加していて、彼らと対等にとはいわないけれど、もうちょっと理解した立場で話したかった。そのときに「博士号を取りたい」と思ったことがきっかけとなり、やっと2年前に大学院に入ることができました。長い間の夢だったんです。そこで、やはりメディアが発信してきたことをきちんと振り返って論文にすることがひとつの大きな仕事かなと思い、このテーマを選んだという感じです。

肱岡:日本のメディアの変遷を調べると、やはり他国と比べて遅れているんですか。

井田:そうですね。災害が多い国なので、日本のテレビ放送の災害報道はすごく充実しています。でも、そこから踏み込んだ異常気象と気候変動や地球温暖化との関連性はほとんど報道されていません。近年少しずつ変わってきてはいるのですが、報道されるのはやはり災害が発生するまでなんですよね。その背景にある理由を結び付けて放送することは、海外に比べてできていないということがわかりました。 その理由は、視聴者ニーズがまだ、気候変動や地球温暖化に対して低いんですよね。IPCCやCOPなどのイベントがあるときは放送も盛り上がるものの、一過性で、気候変動に関するベースは低いままです。気象情報への関心は高く、もちろん視聴率もいいのですが、気象と気候変動が切り離されて伝えられてきたということは、感覚としてわかっていました。それを、ちゃんと数値化して見られたという感じです。そのあたりは、マスメディアで仕事をしていく自分にとっても変えていかなければいけないところですね。

肱岡:気象キャスターネットワークの理事長にも就任されていると思うのですが、ちょっと意外だったのが、研究者や気象研究所の方もいらっしゃいますよね。いわゆる温暖化については当たり前のようにみなさんが認識されていて、発信もされているのかなと思ったのですが。

井田:そうですね。いくつか理由はあると思います。おそらく気象や気候については、近いようで専門外と思ってしまうんでしょうね。だからそこについて触れていいものか、あるいは触れるのであれば科学者の言っていることを、やさしく噛み砕きながら間違いなく伝えなければいけないというところに、力不足のようなものを感じている人もいるでしょう。あとは、視聴者や番組から求められていることを考えると、ちょっと踏み出せない。がんばって提案までしてやろうという人は増えていると思いますが、まだ少ないですね。

短期の季節予報を社会実装しながら、潜在的なニーズを掘り起こしたい

肱岡:博士課程では、どのようなテーマに取り組まれる予定ですか?

井田:メディアでやらなければならないことはわかったので、ここはひとつ丸をつけます。気候変動は「10年先のことやりましょう」と言っても行動が伴わない、どこか我が身事ではない、ということが長年言われていますよね。そのなかで今度はもう少し短いスパンのこと、つまり季節予報をテーマにしたいです。企業や自治体もちょっと先のことであれば見据えて行動できることがこの数年でわかってきたので、季節予報と社会実装を結びつける研究をやりたいと最近は思っています。そうすることで結果的に、長いスパンで行う適応策や対策など、できることが見えてくるとも思いますので、博士課程で研究して専門的な知識をつけたいですね。

肱岡:我々は地域の気候変動適応センターの支援を行っていますが、たとえば適応を行動に移したり、季節予報を使ったりする人のなかで、どのような人にフォーカスしたいですか?みなさんに当たり前のように季節予報を使って行動してほしいと思うのか、そもそも季節予報の精度を追求したいのか。あるいは精度は別の人にお任せして、受け取り方と理解の仕方の熟度を上げたいのか。

井田:どちらかというと受け取り側の理解の方ですかね。季節予報の精度は良くなっていますが、どういうものがあるのか、どう見たらいいのか、そしてどう活用したらいいのかわからないのが現状だと思うので、まずは受け手側にそういうデータがあることを示して、企業や自治体が求めていることとのマッチングをまず掘り出していく作業が必要かなと思っているんです。たとえば冬場豪雪の被害にあって、経済損失を迫られるような自治体もありますが、雪の量などはある程度予測ができるわけですよね。そういう問題点の発掘というか、埋もれているものをきちんと聞き出していくことが必要だと思っています。

肱岡:科学からアクションに繋げるのですね。

井田:そうですね、そこの繋ぎ役ですね。

災害の危険性とともに、対策で回避できるポジティブな未来も一緒に伝える

肱岡:2016年の8月にA-PLATを公開しましたが、当時はシンポジウムに出ていただきましてありがとうございました。あっという間にもう7年経ちましたけど、どうでしたか。

井田:パリ協定が2015年にあって、気候変動対策が盛り上がってきたときですよね。2018年には西日本豪雨があり、ハード面の対策をしても、平成では最悪の犠牲者を出してしまいました。私の立場として、いくら伝えても、気象災害の犠牲になる人はゼロにならないということを感じたとともに、世の中も甚大な被害を出す自然災害に関して、もっとシビアに脅威を感じるようになってきたときだったと思います。

報道も西日本豪雨を経て、令和元年の台風19号で国を挙げて災害対策を強化していこう、放送でももっとシビアに危険性を伝えていこうという動きがようやく出てきました。それが、少し変わってきたところですね。変わっていないのは、やはりその背景にある気候変動や地球温暖化にはそこまでは言及しないこと。でも気象庁から新しい情報がどんどん出てきて、たとえば線状降水帯が予測できるようになったり、熱中症警戒アラートができたり、自治体への呼びかけでは避難勧告がなくなり避難指示一本になったりと、災害が激甚化するなかで変わってきたものもあります。

自分のなかでは大きな変化として、親になったんですよね。彼らがこの先社会に出ていくとき、この災害や気象の変化はどうなっているのだろう、と、ひとりの人間として考えるようになりました。そんななか、若者たちの意見や声を聞くようになり、今まではシビアに危険だということを伝えてきた私ですが、ポジティブじゃないといけないということに気づいたんです。「地球が壊れていく。自分たちに未来はないのか」と、若者たちが絶望しているので、対策をすることが明るい未来に繋がるということを伝えなければいけない。そして、自分の子どもたちにもポジティブなことを伝えなければいけないと思うようになりました。

そういう意味で、機会があるときにはもちろんリスクを伝えつつ、それに伴ってきちんと対策、適応したうえでの明るい未来も伝えていこうと思ったのは、自分のなかで変化したところです。

肱岡:報道は、たとえば世界で山火事が増えている、大洪水が起きた、というシビアな事例を出して伝えている気がするのですが、今のお話だと、それだけじゃ足りないということですか。もっとポジティブにというと、伝え方が難しくないですか?

井田:リスクだけでなく、その先にあるポジティブな未来を伝えるのは難しいです。難しいから報道で伝えられてないのですが、そこを変えなければいけないと、いますごく思っています。たとえば講演や大学の講義など、少人数を対象に伝える機会があるときは、そこを意識するようになりましたね。

充実した情報をもとに、今後は誰もが使いやすいA-PLATへ

肱岡:A-PLATを2016年に公表したときには、研究成果をどう一般の人に使ってもらうのか、ということを考えていたんです。しかし2018年に法律もでき、我々、国立環境研究所に気候変動適応センターもでき、適応を推進するようになりました。広く理解してもらうだけではなく、適応に取り組む人を下支えする役割です。

動きが早かったのは、いま思えば、いろいろなところで大きい災害が毎年のように起きるようになったから。何十年前は温暖化といっても本当に暑くなるのか?とか、2100年の影響と言われても自分はどうせ生きてない、というように、時間的なギャップがあったんですね。そのうちに気温上昇や災害が認識されるようになって、すべての関係者が自分たちの分野でなんとかしなければいけないということで、世界でも適応だけの法律は少ないなか、2018年に日本で気候変動適応法ができました。 いまおっしゃったような理解の裏で、地道に適応してもらうためにも動いているというのが現状です。ただ「なぜ適応するの?」「緩和はやらなくていいの?」という理解から始めていただかないといけないので、なかなか一長一短ではないですけどね。

井田:でもある程度もう、確立されていますよね。ホームページを見ていても、国ごと、地域ごと、あるいは個人でできることがわかりやすくまとめられているし、子ども向けの動画や、教育ベースで使える教材もあります。ここから踏み込むために、何かアイディアはあるのでしょうか。

肱岡:適応って、選択が難しいんです。たとえば、ハザードマップを見て、家をどこにするか考えたとします。でもハザードマップが更新されて、被害が起きるとわかっても、引っ越しますか、堤防を嵩上げしますか、逃げる準備をしますか、と書いてあったところでその決断をひとりですることはできないし、地域で考えるにしても、引っ越したくない人もいれば逃げたい人もいる。国が対策してくれるからといって「予算が少ないから一気にできない。あなたの村は18番目ね」と言われても待てない。

やれること、やるべきことがあっても、それを誰かが上から決めることではないと思うんです。どこまで準備するか、何を優先するかを考えることは簡単じゃない。井田さん一家はどうしますか?と言われても、うちの子は小学校に入ったばかりだから引っ越したくない、という事情もあるじゃないですか。それらをわかったうえで安全なところに住むのか、いまの家を守る努力をするのか、決断することはやはり容易じゃないと思います。

井田:情報があっても、実行に移せるかどうかは別の問題ですよね。コンテンツが充実したA-PLATのホームページについては、これからの課題や、変えていきたいところはありますか?

肱岡:A-PLATには、研究の成果も載せるのが第一目標だったのですが、いろいろな情報を入手したり作ったりして、てんこ盛りになってきました。しかし戦略は不十分で、情報を積み重ねているだけで、使い勝手があまり良くないとも言われたりします。もちろんいい情報をありがとうと言われることもありますが、どう使うか、どう理解するかが大事で、情報があれば適応できるわけではないので、次の5年はより使いやすさを重視した作りにしたいです。

たとえば、学校で適応の教材が必要だったらこれを使えばいいよね、とか、実際に適応するときはここを読んでこの順番でやればいいね、とか、適応のリストを用いてこれからどうする?とみんなで相談できるとか、そういう手順やストーリーがまだできていないんです。いままではあるものをしっかり詰めていったので、いい意味で情報はいっぱいですが、何が入っているのかわからないし、どこに行けば探せるかもわからない。だから使いやすさで並べ替えたり、古い情報をアーカイブで残していつか見直せるようにしたりと、大改修しているところです。

A-PLATの最初の目的は、気候変動適応に関する研究成果や関連情報をしっかり蓄積しておくということだったんです。科学的な知見や、国や地方公共団体、事業者の取り組み情報を載せることで、適応に取り組む人が「すでにここまでわかっている」「ここまではやれているので、次の業務はここからスタートすればいい」というように、考え、実行することができるんですね。また、科学と政策を繋げることも目的としています。こういう情報プラットフォームはなかなかないと、自画自賛しているところです。

それぞれの立場から、みんなが適応に向かえるような道筋をつけていく

肱岡:井田さんの今後の展望についてお聞かせください。

井田:気候変動を見据えながらも、数ヶ月、半年、1年という短期スパンでの季節予報で博士号を取りたいというのがまずひとつの目標。予報の精度もしっかりと高いものを使って、それがどういうふうに社会に役立っていくのかを研究し、きちんと受け手の人たちに伝えて、行動まで結びつけてもらうという事例を全国でたくさん作りたいです。それが今後、2050年を超えたときにもちゃんと気候変動への対策や適応に繋がっていくように、自身が行動する立場でありたいというのが目標ですね。肱岡さんは、これから適応センターをどうしていきたいですか?

肱岡:A-PLATを作って7年、適応センターができて5年。メンバーも揃って、体制もできてきましたが、やっとスタートラインに立てた、というところです。みんながこういうふうに取り組んだら、適応は全部社会実装されるね、というにはまだ遠い。もうひとつわかったのが、いろいろな地域やコミュニティによって、取り組み方は違っていいのではないかということです。

みんながひとつの道を行けば適応に達するわけではなく、適応という山に登るためには、いろんな道があっていい。ある地域は、最短だけど崖を上らなければならない。ある地域は、なだらかな山だけど登るのに時間がかかる。その人たちにとっての価値観や状況は違うので、我々はどういう道があるのかを示したい。そうすれば、最後はちゃんと適応の山に登り着きます。 だけどそれは多分究極のゴールではなく、また次の適応の山があるんですよね。2030年、2050年になったときに「このルートはどうですか?私だったらこっちを選ぶし、こういう大変さもあるけど、こういうメリットもありますよ。もちろん道はいろいろありますけど、この道さえいけば、適応の山にたどり着きます」というように、次の5年、10年で、みなさんが適応に向かう道筋を示せるようになれたらと思っています。

この記事は2023年8月31日の取材に基づいています。
(2023年11月15日掲載)

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