Staff interview #47
上田 健二(KAMITA Kenji)

現在のお仕事について教えてください。

適応センターの副センター長と適応推進室の室長を兼務して、適応の推進に取り組んでいます。
国立環境研究所は、気候変動適応法に基づいて適応に関する情報基盤を担うこととされており、適応推進室の任務は、まさに情報基盤を作ることです。適応センターが運営しているウェブサイト「A-PLAT」を通して、研究者向けの情報だけでなく、一般の方々や企業が取り組めるわかりやすい情報提供を行っています。

A-PLAT内に、「地域の適応」というページがありますが、こちらはどのような内容ですか。

実際に適応に取り組んでいる地域の優良事例やインタビュー内容を紹介しています。ひとえに地域の適応と言っても、エリアごとに気候による影響や地域社会で重要となる課題が異なるため、各地域で、その地域ならではの適応策を考えることが重要です。

サイト内でも掲載していますが、適応策の好例として、愛媛県を紹介します。愛媛県には、名産品である温州みかんが気候変動によってダメージを受け始めているという課題がありました。そこで、イタリア原産で暑さに強いブラッドオレンジが導入されました。みかんと同じ柑橘系でもあり、愛媛の新しい名産品になっています。ブラッドオレンジは単価が高く、ブランド力があることもポイントです。愛媛県では、このように地域の気候と社会の課題に則した「プラスの適応」が進んでいます。地域ごとに課題は違うので、その地域を伸ばす要素を見極めて、自治体の方と一緒に戦略を立て実行することも私たちの役割です。

高温にも強いブラッドオレンジ(出典:農林水産省「平成25年地球温暖化影響調査レポート」)

中学生の頃は天文学に興味を持たれていたという上田さん。きっかけを教えてください。

アメリカの天文学者カール・セーガン博士の著書「コスモス」を読んで、天文学に興味を持ちました。カール・セーガン博士の専門は天文学だけでなく、生物学、ロケット工学、物理、化学、生物化学と幅広く多角的に宇宙を分かりやすく解説できる方でした。その姿が魅力的で、専門性を突き詰めるより幅広い角度で科学を伝えるサイエンスコミュニケーターのような仕事をしてみたいと思うようになりました。

大学時代はどのように専攻を選ばれましたか。

天文学を学びたいと思って大学に入学しましたが、紆余曲折あって天文学に進むことは諦めました。天文学は数学の世界なので、数学が得意でない私は、将来天文学で食べていくことは難しいと気づき、その次に関心のあった環境分野に進むことにしました。
そこにもカール・セーガン博士が影響しています。著書「コスモス」の中で、博士が太陽系の惑星の環境についても触れていたことから、私の中で天文学と環境は表裏一体でした。

それで、大学4年から人工光合成の研究を行っている研究室に入ったのですが、ちょうど前年でその研究が終了してしまっていて。残念でしたが、そこから研究の道に進むのはやめました。
専門的な研究よりも、幅広い知識を生かしてどのように科学技術を現代社会に落とし込んでいくかという仕事に興味を持ちました。

例えば。今、気候変動対策に関しては「緩和」、つまり温室効果ガスの排出削減の方がクローズアップされていますが、どんなに緩和を頑張っても地球はもう少しだけ熱くなるので、どうやってそれに備えるかという「適応」の取組も必須です。緩和か適応か、どちらかだけではダメ。社会に合わせてうまく組み合わせ、現実的な解決策を考えないといけないわけです。
ともあれ、就職活動の結果、当時の環境庁に採用されました。

環境行政に取り組むため入庁された環境庁(現環境省)ではどのようなお仕事をされましたか。

採用当時は、ダイオキシンや環境ホルモンといった化学物質の影響が社会問題になっていました。環境ホルモンとは、「環境中に存在するホルモンのようなはたらきをする物質」という意味の造語です。特に、生物の生殖活動に影響が出ると明らかになったことで、化学物質のリスクに対する社会の見方が大きく変わり、規制を厳しくするべきだという風潮が強まりました。その中で、科学的知見をもとに、法律やルールを作っていく仕事に携わりました。国会やマスコミでこの問題は大きく取り上げられ、当時はとても忙しかったです。当時の仕事が、その後、化学物質の販売開始前の規制強化(化学物質審査規制法・農薬取締法)や、化学物質の新たな管理制度の創設(化学物質管理法、いわゆるPRTR制度)につながっています。

大学の専門が化学だったので、最初のうちは化学物質関係のポストが続きましたが、その後は専門にあまり関係なく色々なポストを経験しました。廃棄物・リサイクル分野、地球環境分野などのほか、分野横断的なものとしては、研究開発担当や、環境アセスメントの担当なども経験しました。

環境庁での長年の業務の中で、時代の変化とともに変わってきたことはありますか。

入庁してしばらくは、公害対応が環境庁のメインミッションでした。環境庁は黎明期から、公害という、ものすごく大きな問題を二度と起こさないようにするための規制制度を作ってきました。もちろん今もなお公害の後遺症に苦しむ方もいらっしゃいますが、激甚な環境汚染はだいぶなくなってきました。時代の流れに沿って、環境省の考え方も、「環境だけ良ければいい」ではなく、「経済と社会と一体で環境を良くしていく」という風に変わってきていると思います。まさにSDGsの標語にある「誰も取り残さない」の考え方です。

そういう考え方が顕著になったのが、福島の原発事故以降だと思います。環境省は、福島の放射能汚染を取り除く「除染」という仕事を請負いました。そこで、復旧だけでなく復興も一緒にやろうというふうになってきました。福島の未来を地元の方と一緒に考え、環境面から地方創生に取り組むようになりました。これまでは環境汚染というマイナスをゼロに戻す作業だったのが、課題を解決しながらプラスにしていこうという風に変わっていきました。

適応センターに来る直近、岡山で中国四国地方環境事務所の所長を4年間務めたときも、脱炭素つまりカーボンニュートラルが一番のミッションでしたが、単に国が立てた計画に全国一律で取り組むのではなく、地域の課題を解決し、地域の強みを引き出すように、きめ細かな対応を進めてきました。疲弊している地域を元気づけるため、地域と一丸になって取り組むような盛り上がりを感じました。

2023年7月に適応センターに着任されてから、現職での業務はいかがですか。

昔から国立環境研究所に興味がありましたし、いったんは諦めたものの研究の道に関心があったので、研究の現場をもう少し見たいという気持ちもありました。実は、5年前の適応センターの設立セレモニーにも、環境省側の担当室長として参加していたり、地方で適応に関する仕事をしていた縁もあって、これまでの知識を総動員して貢献したいと思っています。これからの適応は自治体との密接な連携がさらに大切になってくると思います。これまで地方での勤務も比較的多かったので、自治体の方々の思いもわかっているつもりです。環境で地域を元気づけられる適応に取り組んでいきます。

2018年12月・NIES気候変動適応センター設立式の様子(前列右端)

上田さんがよく使われているというこのマーク。気になっている方がいらっしゃると思うのですが、なんでしょうか。

ナゾの文字???

これは、古代マヤ文字で「カミタ」と書いてあります。つまりサインですね。岡山県備前市にある「BIZEN中南米美術館」で、古代マヤ文字で名前を作るサービスをやってまして、その場で申し込んで作ってもらいました。古代マヤは謎の多い文明ですが、環境破壊が原因で滅んだとも言われており、昔から興味があったのです。古代マヤ文字もずっと未解読でしたが、ここ10年の間にAI技術が進んだことで急激に解読され、すでに9割ほどが読めるのだそう。マヤの人々が現代に残したメッセージが、このタイミングでAI技術によって解読できるようになったことが、現代の環境問題に対する警告のようだと思っています。

最後に、これからの課題や目標を教えてください。

地域の皆さんと協力して、適応で地方創生に取り組むことが一番の目標です。やはり、「適応」という言葉は硬いですし、要は「ダメージをゼロに戻す」というイメージがあると思います。ですが、地域の強みを活かせば、プラスに転じさせることもできるということを各地で感じていただきたいです。地域の皆さんに元気を出して取り組んでいただけるように一緒に相談をしながら適応策を作り上げていきたいと思っています。

取材日:2023年9月12日

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