浸水被害に遭った建物を守り、復旧させる技術を広める
取材日 | 2022/6/16 |
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対象 | 信州大学工学部建築学科 助教 中谷岳史 |
※掲載写真は自宅、もしくは被災者から掲載許可を得ています。いずれも中谷が技術支援に直接かかわった住宅です
中谷先生には以前、学校の暑熱対策関連のお話をお伺いしましたが、建物浸水被害についても研究されていると伺っています。気候変動による集中豪雨やそれに付随する河川の氾濫が多発し、日本でも深刻な問題になりつつありますね。
はい。これからも洪水などは増加の予測です。ハザードマップを見て避難計画を立てようという動きはありますが、いざ建物が水に浸かってからどうするかという観点の対策は日本では不十分です。海外では建物の復旧手順についてかなり研究が進んでいますが、国内ではボランティアの仕事という認識で、被災現場に研究者が入ることはあまりないというのが実情です。
私はもともと建築環境工学を専門にしており、ハウスメーカーでも研究員をしていたことから、その経験を活かして適応策の研究として取り組み始めました。水害は広域同時多発型の災害であり、建物が濡れた後は、限られた人員で非常に多くの復旧作業を行わなければなりません。現場ごとに工程や人員配置の最適化が求められる、難しい研究分野です。しかし対応によって室内の汚染の程度や被災生活の質、建物解体や復旧に要する費用など、さまざまな面に影響することから、社会的要請の高い研究テーマと感じています。 研究は、被災地の技術支援と学術研究を組み合わせて進めています。大規模な災害が起きると知人やボランティア団体から個別に相談されることが多く、ボランティアを行いながら、お礼としてデータ収集に協力してもらっています。2019年の令和元年東日本台風の長野市の支援をはじめとして、2020年は熊本県人吉市や相良村、2021年は千葉県市川市と佐賀県大町町、2022年は長野県小川村や新潟県関川村、そして静岡県静岡市などで活動してきました。特に長野県長野市と熊本県相良村、静岡県静岡市の住宅では、水害による被災直後から復旧までのほぼ全工程の判断に関わることができ、建物復旧の工程を検証する機会となりました。その他の現場でも建物の温湿度や建物材料の含水率、空気中の浮遊真菌濃度などの貴重なデータを収集することができました。
本格的に研究に取り組まれたきっかけはなんだったのでしょうか。
2019年の東日本台風で、長野県長野市の自宅が床上浸水し、自分自身が被災したことがきっかけです。当日はテレビで日本各地の被害を見ていて、他人事として感じていました。雨もおさまり台風も離れたので夜寝ようとしたら近所の人の大声が聞こえ、一階に降りると、ちょうど窓から室内に泥水が入ってくるところでした。我が家は床上50cm程度まで浸水して、半壊判定になりました。
水害が起きてすぐに、建物復旧で参考になりそうな情報収集を行いました。SNSで過去の水害を検索すると、カビによる汚染が深刻な問題であり、後々大きな問題になることがわかりました。建物復旧は、清掃と乾燥が基本です。国内では経験豊富なボランティアによる手順がいくつか見つかりましたが、納得しにくいところもあったため、復旧の手順の流れは米国環境保護庁(EPA)や米国疾病予防管理センター(CDC)、NCHHのrecovery manualを特に参考にしました。
判断がうまくいったところもあれば、判断が遅れたところもあります。例えば、壁の内部を清掃するため、壁を部分解体する必要があるのですが、住み慣れた自宅の壁を壊すことが心情的にできず作業開始が遅れ、壁内部にカビが多く生じさせていまいました。復旧作業や災害研究を研究するうえで、作業効率や効果に加えて被災者の心理まで経験できたことは、とてもよい問題意識になったと思います。
■令和元年東日本台風。長野県長野市の半壊判定の自宅の被害状況
では浸水被害後、早急に必要なのは具体的にどのような作業でしょうか。
水害の対応は、基本的には汚れを落として乾燥することが何よりも大切です。泥で汚れたままおいておくと、数日でカビが生えてしまいます。EPAでは48時間以内の処置が推奨されており、それ以降はカビの急激な増加(mold outbreak)の危険性が高まることが記載されています。
応急処置の時間の目安として、浸水から数日以内に室内の泥水に浸かった物をとにかく外に出して室内空間を洗浄すること、床解体を行わずに床下送風できるだけ早く開始すること、そして浸水した壁の部分解体と内部清掃を2週間以内に行うことを推奨しています。災害現場にはさまざまな事情がありますが、対応が早ければ早いほど、カビによる汚染は少なく済みます。
応急処置に必要な作業人数についても、被災地調査を行いました。一般的な大きさの家が床上浸水した一例では、カビの汚染が広がる前に応急処置をするには、一軒につき少なくとも40~50人工程度が必要でした。内訳は、室内から屋外の荷物搬出で10人工、室内清掃で10人工、壁部分解体で20人工程度です。被災者は書類作業や家事、休息などがあり、2週間で大人2人として、10人工程度。被災者以外に2週間で、延べ30~40人ほどの人手が必要になります。
広域同時災害ですので、被災直後の近所の助け合いは限定的であり、被災地以外からの応援が重要になります。被災後すぐに、家族や友人、知人に加えて、普段からなじみのある建築業者に連絡することが大切です。また、ボランティアは災害復旧で大きな役割を果たします。ただしボランティアは行政と連動して動く必要があるため、ボランティアが現地派遣されるのは災害後1週間以上後になります。
なお子どもは身体的・心理的影響を受けやすいことから、災害の跡片付けに参加させないことが推奨されています(米国疾病予防管理センター)。大人もストレスを強く受けますので、気分転換や休息を早め早めにとることが大切です。
事例として、2022年の静岡県静岡市清水区の半壊判定の住宅の対応過程を紹介します。被災から数時間後に、建築技術者の知人を通じて技術支援の要請があったものです。
■令和4年9月の大雨。静岡市清水区の半壊判定の住宅にて対応過程
まずは被災者の安否確認や周囲の状況を確認してから、安全行動を伝えました。そして知人や友人に応援要請することも伝え、購入してもらう清掃用具や生活用品などのリストを送りました。1日目は室内清掃に集中してもらい、雑巾で拭き取るのではなく水道を流しながら水切りモップで泥水を外に押し出すこと、濡れたものはすべて一旦屋外に出すこと、使用できそうな物品は洗浄することなどを助言しました。
2日目は私と知人で現地入りして、技術支援のボランティアを行いました。建物を診断して今後の流れや予想される被害を説明し、作業工程を共有しました。建築技術者が先行して壁内部に洗浄すべき部位を墨で打ち、被災者や支援者によって壁部分解体を行いました。
壁内部の断熱材は、水を吸うので除去します。DIYレベルの建築作業ができる人は、邪魔になる壁際の付帯物を取り外していきます。対象は、冷蔵庫や棚の移動、壁付けテレビ、下駄箱、食器棚などの造作収納です。そして壁の解体、清掃が完了した部位に、屋外で洗浄済の生活用品を移動します。そのほか、ユニットバスの内部洗浄、トイレ床のビニールシートの廃棄を行います。そして床下点検口に工業用ファンを2台配置し、室内から床下に送風して、床下乾燥を開始します。
3日目、被災者には罹災証明書や保険関係の事務作業に加えて、建築工事業者に連絡を入れ、現場を確認してもらって、今後の工程について打合せをしてもらいました。さらに設備業者に連絡してトイレと洗面台の一時取り外しを依頼してもらい、4日目に設備業者と建築技術のあるボランティアが入って脱衣所やトイレ、造作家具などの作業の難易度が高い部位の壁部分解体と清掃を行いました。以上で壁内部を含めた室内空間の清掃と床下乾燥が開始され、応急処置が完了しました。
応急処置が早かったこともあり、木材も素早く乾燥し、カビによる健康被害もなかったということです。復旧工事は約3か月後の95日目で完了しました。被災地によっては1~2年ほどかかることも多く、今回は被災者の負担を大きく減らすことができたといえます。
■令和4年9月の大雨。静岡市清水区の半壊判定の住宅にて復旧過程の一部
【1日目:被災直後、安全行動の確認、清掃開始、屋外搬出】
【2日目:壁部分解体、壁内部清掃、床下乾燥】
【4日目:壁部分解体、壁内部清掃、床下乾燥、行政関係・保険関係の書類準備、設備業者に作業依頼】
床の応急処置は現在のところ、床は解体せず、床下送風を有力候補にしています。作業量の観点では、床解体から床下清掃をすべて終えるには50~100人工程度の作業人員が必要です。しかし先にこれらの作業をすると室内空間の対応が遅れ、カビによる室内汚染が始まります。また生活の質の観点では、自宅避難をする際、床がないと生活が不便であることや、床下の浮遊粉塵が室内に拡散することなどが予想されます。
床と床下空間は、点検口の直下に工業用ファンを配置して、室内から床下に送風する手法を推奨しています。普通の扇風機やサーキュレーターでは能力が低いため、ファンから近い範囲しか気流をおこせません。床がある状態で工業用ファンにより圧力をかけることで、床下空間が流動して、大面積で気流を与えることができます。そのうえで室内空間から床下に誘引し、屋外に排出することで換気経路を確保できます。床下の泥が乾燥した後は、必要に応じて業務用掃除機で吸い取ることで、素早く取りのぞくことができます。
壁を切り出す作業は、素人でもできるのでしょうか。
かなりできます。まず浸水ラインから30cm上に鉛筆などで水平線をひき、その線に沿って壁表面の石膏ボードや板を、ノコギリやカッターで切ります。表面材の厚さは1cm程度ですから、力を入れすぎないように気をつけてください。その後、水平線より下の石膏ボードや板を、ハンマーやバールなどで剥がします。断熱材があるときは、濡れた部分を取り除いてください。このとき、濡れていない断熱材を引き抜かないよう注意が必要です。最後に、水とスポンジで解体部を洗い流します。バケツに水を入れて、スポンジで汚れを吸い取るように拭き取っても問題ありません。浸水していない部位やコンセントには十分気をつけてください。散布機で消毒液を、しっかり濡れる程度に吹き付けて終了です。ただし造作家具や洗面台などがある壁は、建築機材や技術が必要であるため、建築の技術がある人に依頼しなければいけません。
中谷先生が技術指導を行った住宅で成果は見られましたか。現在、どのような調査結果が得られているのでしょうか。また、技術指導を行いながら、被災地で気づいた課題はありますか。
長野県にて床上浸水被害を受けた建物で、壁の解体や床下乾燥を行い、浸水3か月後の壁室内側表面・石膏ボードの含水率を計測した結果、含水率や浮遊真菌の観点から有効性が確認できました。
また千葉県で床下浸水した建物でも、床下空間の清掃を省略して乾燥を優先した結果、床下空間の浮遊真菌濃度が低く抑えられ、乾燥による有効性が示唆されたところです。
水害で被害を受けた後、建築技術者に相談できるかどうかは再建に強く影響することを感じました。早い段階で技術的相談ができれば、費用や期間を予想することができ、建物を復旧する気持ちが出てきます。一方で相談できなければ不安が大きくなり、復旧までの作業を進めることが難しくなります。
被災者の支援策に公費解体制度という、一定以上の被害を受けた建物を無償解体する行政支援があります。公費解体の申請は一定期間であることから、それまでに再建の心積もりができていなければ被災者は解体を選択することが多くなります。
2020年の熊本県人吉市や相良村では甚大な被害が生じました。技術支援を行って再建した建物の周囲が解体されるのを見たときは、非常に悲しい気持ちになりました。現在、建築系の学会や団体で水害対応が進められています。多くの建築関係者の力を動員して、被災者の被害を減らしていくことが大切です。
今後の展望について教えてください。
ここ15〜20年くらいのテーマとして、浸水対策は海外ではかなり研究が進んでいる分野です。2005年にアメリカを襲ったハリケーン『カトリーナ』をきっかけに、米国環境保護庁を中心にたくさんの研究が行われ、公的機関がガイドラインを公開し、徐々に浸透していったという流れがあります。冒頭でもお伝えした通り、日本ではまだ学術的検討が少ない状況です。
私自身も被災し、この分野での研究が必要であるということを感じました。建築分野で気候変動適応に貢献できるよう、研究を続けていきます。
(2023年6月1日掲載)