育種改良により暑熱耐性の高い牛を生産。夏でも乳量を維持し、おいしいミルクを多くの人へ

| 取材日 | 2026/2/15、17 |
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| 対象 | 東京農工大学 農学研究科 教授 杉村智史 株式会社PIXTURE 代表取締役社長 今井比以呂 YORODUGARUDO合同会社 東浦裕紀 武蔵野デーリー株式会社 木村充慶 |
毛が短く、体から熱が逃げやすい個体を作る「スリック遺伝子」
杉村先生は東京農工大学で家畜繁殖学を専門にされているそうですが、その内容について詳しくお伺いできますか?
杉村先生:家畜繁殖学とは、次世代に効率的に遺伝情報を残すための機序やメカニズムを明らかにし、応用につなげていくという学問です。私は、いまは牛を専門に扱っています。
農業の分野は、最先端の技術がいち早く市場にフィードバックされ、社会実装できる点が魅力ですね。基礎研究だけでなく、実際にそれが現場で利用されて、役立っているところを自分の目で見たいという思いがあります。

杉村先生が取り組む研究のなかに、暑熱対策として牛を短毛にする育種改良があるとお伺いしました。近年、気候変動の進行が問題視されていますが、酪農分野への影響も踏まえて、その内容についてご説明いただけたらと思います。
杉村先生:はじめに、近年の気候変動、特に夏季の高温化や猛暑日の増加は、酪農に大きな影響を与えています。乳牛は暑さに弱く、強い熱ストレスを受けると乳量の低下や受胎率の悪化、そして免疫力の低下による疾病も増加してしまうのです。さらに、飼料作物の収量や、品質の変動も深刻です。
この課題に関しては「環境面での対策」と「牛の改良」の両面から取り組むことが重要と考えています。環境面では、換気設備やミスト冷却などによる暑熱対策の強化、飼養管理の改善が不可欠です。牛の寝床をウォーターベッドにしている牛舎もあります。しかし、それだけでは太刀打ちできない状況になってきているのも事実です。やはり長期的に見ると、牛自体を適応できるようにしていかなければなりません。
そこで注目されているのが、カリブ海原産の肉用種セネポールが保有する、プロラクチン受容体遺伝子の変異である「スリック遺伝子」です。これは被毛を短くし、体から熱を逃しやすくするという特徴を持っています。いわゆるホルスタインや黒毛和種は、このスリック遺伝子を持っていません。そこでセネポールとホルスタインを交配させて、スリック遺伝子を受け継いだ雄牛から精液を採取し、スリック遺伝子を持ったホルスタインを生産しようとしています。
スリック遺伝子を持つ牛は熱放散効率が高く、直腸温(牛の体温は直腸や膣で測ることが多い)の上昇が抑えられ、夏バテが軽減されることで食欲も落ちず、夏場の乳量低下が軽減されるという報告もあります。

将来的に、スリック遺伝子を保有した乳牛が増えていく見込みですか?
杉村先生:はい。しかし導入するにあたり、難しい点もあります。
遺伝情報は、父と母、それぞれから受け継ぎます。スリック遺伝子に関しては、父母の両方が持っていなくても、どちらか一方が持っていればその情報を引き継ぎ、短毛の個体が生まれます。
いま市場に流通しているのは、父か母、どちらか一方からスリック遺伝子を受け継いだ精液(ヘテロ)です。そして日本にいるホルスタインや黒毛和種は、もともとスリック遺伝子を持っていません。つまり、種をつけたときにスリック遺伝子を持った子どもが生まれる確率は、理論的には50%なんです。
育種改良をした牛群を作ろうと思うと、導入費用はもちろん、時間もかかりますね。
杉村先生:そうです。今後は、受精卵の段階で遺伝子型判定や選抜技術を活用し、確実にスリック遺伝子が入っている受精卵を選別することで、効率的に体外受精できるよう進めていこうとしています。その流れが確立されると、理論的にはほぼ100%の確率でスリック遺伝子を持った子どもが生まれるはずです。
ちなみに父も母もスリック遺伝子を持っている牛の精液(ホモ)もあり、それを使えば100%スリック遺伝子を持った子牛が生まれますが、肉用種であるセネポールの血が濃くなるため、乳量がそこまで増えず、市場ではなかなか使われにくいようです。

動物、人、環境に優しい方法で、酪農における課題を解決
先ほど杉村先生は、研究結果をきちんと社会実装したいという思いをお持ちだとおっしゃいました。それが、大学発スタートアップである株式会社PIXTUREにつながったのだと思いますが、社長の今井さんに、立ち上げの経緯を詳しくお伺いしたいです。
今井さん:私はもともと医療、ヘルスケアなどを中心に事業をおこなうアステナホールディングス株式会社に所属していたのですが、社長が石川県珠洲市に移住し、本社機能の一部を移して新しいビジネスを立ち上げました。農工大とはその時から連携しており、農工大で生まれた新品種の稲を能登半島で育てて日本酒を作るなどしていたところ、学長経由で杉村先生の研究について教えていただいたんです。
能登半島にもブランド牛が存在しており、能登ミルクや能登牛などの商品があります。そこで、杉村先生となら環境にも人にも動物にもやさしく、経済的にも潤えるような牛種を作っていけるのではないかと思ったことから、株式会社PIXTUREを立ち上げたという経緯です。アステナホールディングスの子会社からの100%出資で、研究成果の社会実装を目的としています。
現在は受精卵移植技術を使い、牛群形成の支援を目指しています。例えば乳量が多い、あるいはお腹がゴロゴロしにくい乳質の乳牛や、サシが適度に入っておいしい肉用種、また環境面でいうとメタンの排出量が少ない受精卵などを選別・提供していくことが、私たちのミッションです。

体外受精卵移植普及についての課題はありますか?
今井さん:人工授精(精子を直接子宮に入れて体内で受精させる)より、受精卵を移植する体外受精のほうが高額になりやすく、このコスト構造が生産者の足を大きく引っ張っていることです。加えて、受胎率の低さですね。
杉村先生:人工授精でも、出生率は30〜40%ほどです。これは母体に問題のあるケースもありますが、生理現象で、人間にも当てはまります。受精卵が途中で細胞分裂を停止してしまうのが理由のひとつで、なぜ停止してしまうのかということについて、私は長年研究を続けてきました。最終的に子どもになる胚と、途中で発生が止まってしまう胚の違いを明らかにすることによって、胚の質を評価していく研究をしています。

今井さん:受精卵が持っている特徴だけでなく、受胎率の高い受精卵も見分けることにより、生産者のリスクを減らしながら牛群の形成をサポートしていくことが、PIXTUREの持続可能な畜産経営に対するアプローチです。いろいろなニーズに応えられる受精卵を作れるよう、チャレンジしていきたいと思っています。

研究から生まれた価値を、消費者に届ける現場へ
現状は、研究と連携する牧場で育った牛のミルクが、東京・吉祥寺にあるミルクスタンド『武蔵野デーリー』で飲めるんですよね。
木村さん:はい。きっかけは、農工大OGの研究員、東浦さんがミルクスタンドに来店されたことです。「農工大にもミルクがあるんですよ」と教えてくださったことから、杉村先生とのご縁がつながりました。

杉村先生:東浦さんが立ち上げたYORODUGARUDO合同会社が研究技術と畜産現場、事業者をつないでくれるため、産学連携をより実践的に、スムーズに進めることができています。

東浦さん:農工大の加工場では乳酸菌飲料やアイスクリームを作ることはできますが、ミルクや発酵乳(ヨーグルトなど)の製造ができないのです。私は学生時代に牛舎で研究をさせてもらっていて、20年ほど前からずっと「農工大牛乳」として活用できれば、と思っていました。そこでいろいろ調べていて、工房を持つ武蔵野デーリーさんにたどり着いたのです。

木村さんが武蔵野デーリー クラフトミルクスタンドをオープンさせたきっかけはなんだったのでしょうか?
木村さん:祖父が牛乳の配送業をおこなっていたのですが、当時は殺菌技術の質があまり高くなく、牛乳が痛むことも多かったため、父が東京で初めて牛乳を自動販売機で売る事業を始めたそうです。いま、ミルクスタンドとして使っているところは、かつて牛乳の在庫を置いていた場所です。
僕がミルクスタンドを始めようと思ったきっかけは、北海道旭川市にある斉藤牧場のミルクとの出会いでした。斉藤さんは北海道に入植後、山の上という厳しい土地をあてがわれながらも、牛と自然の力を使った独自の方法で開墾し、放牧を実現させた人です。事前に斉藤さんの本を読んで、そのストーリーがとても面白いと思ったことから、別の仕事の出張で近くに行った際、2泊3日、泊まり込みでお手伝いをさせてもらいました。
実は僕は牛乳屋の息子なのに、牛乳が嫌いでした。でもそのときにミルクを飲ませてもらって、苦手だった独特のミルク感がなかったことにとても感動したんです。また、後日足を運んだ北海道足寄町のありがとう牧場のミルクは草の甘味がして、これもおいしいと感じましたし、牧場ごとにミルクの味が違うのも面白いと思いました。
それで徐々に興味を持ち、数珠繋ぎ的に全国の牧場を紹介してもらいながら回っていると、北海道以外でも放牧をおこなっている牧場は多く、そういうところのミルクはやはりおいしいんですね。育て方についても、草を意識している人、牛糞を大事にしている人、なかには人が食べられるくらい無菌の堆肥を作っている人など、こだわりもいろいろです。

ミルクスタンドではどのようにミルクを提供するのでしょうか。
木村さん:月に3〜4種類、全国の牧場から一部は搾りたての状態で送られてきたものを提供しています。ミルクのほか、ヨーグルトの加工もおこなっています。
3種類飲み比べセットでは、季節ごとに個性の違う3種類を楽しんでいただけるようにしています。

そういった、全国の放牧されている牛のおいしいミルクを多くの人に飲んでもらいたいという気持ちで、ミルクスタンドをオープンさせたのですね。
木村さん:はい。ただおいしいミルクを提供するのではなく、牧場のストーリーとミルクの味をセットで発信できたらという思いがありました。
また、牧場を回りながら、課題についても知ることができました。通常、スーパーなどで販売されているミルクには数十から数百戸以上の牧場から集めたミルクが混ざっており、牧場単一のこだわりをダイレクトに出すことはできません。それぞれの「クラフトミルク」を発信していくための支援を、このミルクスタンドでしていけたらと思っています。
杉村先生:ミルクや酪農の価値を消費者に届ける取り組みをされている武蔵野デーリーさんのおかげで、大学附属牧場での飼養環境づくりや牛群改良、環境負荷低減への取り組みなどを、実際の製品という形で社会に届けることができています。研究成果が論文にとどまらず、消費者に「体験」として伝わる点に大きな意義を感じます。

では最後に、杉村先生から消費者のみなさんへメッセージをお願いします。
杉村先生:牛乳や乳製品の安定供給の背景に、こうした研究と現場の努力があるということを知っていただきたいですね。持続可能な酪農を支えることは、食料安全保障や環境保全にも直結する重要な取り組みです。将来的には、PIXTUREとして受精卵技術によって育成された高付加価値乳牛のミルクを、武蔵野デーリーと連携して商品化・発信していきたいと思っています。

この記事は2026年2月15日、17日の取材に基づいています。
(2026年4月20日掲載)