Staff interview #48
杉野 伊吹(SUGINO Ibuki)

気候変動適応推進室 研究調整主任。神奈川県生まれ。2020年3月、茨城大学大学院 理工学研究科 理学専攻 地球環境科学コース 博士前期課程修了。同年4月に環境省に入所。2024年4月からCCCAに出向し、適応策推進に伴う自治体支援や、研究機関の連携などに従事している。

2024年4月から、気候変動適応センターにて研究調整主任という役職に就いたそうですが、それまでの経緯について教えてください。

いま、環境省から出向して3か月くらいです(2024年7月現在)。社会人としては5年目で、環境省に入所したのは令和2年の4月ですね。
最初の2年間は福島再生未来志向プロジェクト推進室に在籍し、主に福島の復興支援の仕事をしていました。具体的には、放射能の除染で集められた土壌の再生利用を目指した理解醸成が主な仕事です。
3年目からは地球環境局の地球温暖化対策事業室で、脱炭素を進める事業を支援していました。どちらかというと緩和ですね。補助金を作ったり、技術開発を支援したりするような部署で、再生可能エネルギーのポテンシャルが日本にどのくらいあるのか調査したり、それをうまく計画に落とし込めるよう調整したりしていました。

学生のころから、環境に関する研究をされていたのでしょうか?

専攻は気象学で、天気の研究をしていました。気象というより気候に近かったです。たとえば都市では夏の夕方、ゲリラ豪雨が発生しやすいといわれています。それは都市が原因なのか、人が多く住んでいてニュースになりやすいからピックアップされがちなのか。あるいは日本特有のものなのか、世界的にも都市ではゲリラ豪雨が発生しやすいのかといったことを研究するために、シミュレーションをおこなっていました。

在籍時の段階ではどのような結果が得られましたか?

私は現在の気候を再現する研究をしていたのですが、関東都市部では夕方になると雨が降りやすいという結果が見られました。コンクリートなどで覆われることによる熱が原因のひとつで、あとは建物があることにより乱気流などが発生しやすいという物理的な理由もありましたね。

気候を専門にしようと思った理由はなんですか?

小学校のころ、自由研究で天気図を切り取って「今日の天気は晴れでした」と日記のように記していたのですが、それがきっかけで気象学を勉強したいと思い、大学は地球科学系に入ったんです。都市の気候については大学の先生からの紹介でしたが、気象学に関心を持つきっかけになったのは自由研究でした。
それも自分が探してきたというわけではなく、父が何気なく勧めてきたテーマなんですけどね。おそらく毎日コツコツ何かし続けてほしいという程度の気持ちだったと思うのですが、私は結構楽しくて。振り返ったときに積み上げてきた結果が見られるのがすごく面白くて、小学校4年生と5年生の2年間、夏休みになるとずっとそれをやっていたという感じです。

就職先として環境省を選んだ理由は?

大学時代は現在の気候について研究しつつ、将来予測もおこなっていました。それで学会などで将来の気候の話を聞いていて、ちょうど西日本豪雨などの発生により、温暖化が進むと災害が増えることを認識し始めたころです。それをうまく国民に伝えて防災意識を高めることはできないか、と感じ、そういった仕事に就けたらと思ったんですね。
そんななか、環境省が2018年に気候変動法を策定し、その直後に私も環境省にインターンに行き、適応の仕事を2週間体験させていただきました。そこで環境省の仕事の面白さ、そして組織の風通しの良さにも魅力を感じ、環境省を第一志望に決めたんです。
適応については、インターンに行ってから興味を持ちました。適応を通じて、防災意識が高まっていくといいな、と。そして、私たちが研究したことはこうして世の中の人の役に立っていくんだ、ということも実感しましたね。

現在のお仕事は、企画支援チームの業務統括と、自治体チーム施策の推進支援ということですが、具体的にどんなことをされていますか?

特に多いのが自治体支援です。適応担当者が欲しい情報を提供したり、相談を受けながら適応策推進のアドバイスをしたりしています。
企画支援の方は研究機関の連携と、普及啓発教育の2本立てです。研究機関の連携についてはイベント企画や運営、普及啓発教育についてはA-PLATなどが持っている普及啓発ツールを環境教育にどう活かせるかといったことなどを考えています。
いまは大きく、ふたつのイベントを2日間に分けて実施しようと思っているんです。ひとつは、適応を軸にさまざまな研究をおこなっている研究者が一堂に介して意見交換をする会。適応センターからも参加して、現場で悩んでいることを研究者と会話しながら解決できるいい機会になればと思っています。
もうひとつのイベントは、地域気候変動適応センター(LCCAC)同士の意見交換会。中長期的な目標として、自分の自治体がどういう姿になっていたいかということをきちんと言葉に落としてもらい、そのために何が足りないのか、何をしていったらいいのか、具体的に計画を立てて次の一歩を踏み出せるような会になったらいいなと思います。

外部の方とお話をする機会も多いかと思いますが、そのなかで気候変動適応センターに求められる希望や、個人的に足りていないと思うことなどはありますか?

自治体チームのメンバーと話すとき、みんなが直近の課題として感じているのは、気候変動適応計画が策定されても実践に移すときに何をどう進めていったらいいのかわからない自治体が多いのではないか、ということ。我々も計画を作るだけ作っておしまいという形にはしたくないので、なるべく自治体のなかで強みを活かしながら考えて、適応策を進めていってほしいという気持ちがあります。そこでどう進めたらいいかということを、モデル都市を作って考えているところです。
それをクリアにするのは国環研としての役割だとも思いますし、適応というものが世の中に浸透するきっかけにもなると感じています。

適応センターで、杉野さん自身はどのような力を身につけて成長していきたいですか?

適応計画ができて、実践に移そうとしている自治体が増えてきているので、ひとつでもきちんと計画に沿って実践できる自治体が出てくるといいなと思っています。それを支援していきたいというのが目標のひとつです。
適応センターにはのびのびと仕事ができる環境が整っているので、今後もさまざまなスタッフと一緒に各自治体に行って話を聞くなど、地域が適応を実践できるきっかけづくりを、寄り添いながら行えたらと思っているところです。

気候変動が今後進んでいくなかで、将来を見据えて杉野さんが心配に思っていることや、適応策も含めた対策としてはどのようなところに力を入れていったらいいかなど、お仕事をしながら見えてきた部分があるのではないでしょうか?

雨の研究をしていたので、温暖化により雨の被害が激化することもわかっているなかで、防災意識を高めて死亡者数が減ったらいいな、とセンターに来るまでは考えていました。もちろんいまもそういう気持ちはありますが、それだけでなく、農作物や畜産など、一次産業を生業にしている自治体の魅力が温暖化により失われるリスクにも目を向けています。
農業従事者のように温暖化が生業に直接ダメージを与えるような人は、高温や豪雨対策、品種転換など、適応への取り組みがすごく早いんですね。そういうところを地域の魅力としてPRしていけたらいいと思うのですが、実際に取り組んでいる人と自治体職員とがうまく結びついていないケースもあるので、そこをなんとかできれば、というのが、センターに来て3か月仕事をして感じた未来像です。

当面の目標は?

モデル自治体としているところがちゃんと適応を実行に移すということは目標にしたいのですが、その後はそれを水平展開のように、いろいろな自治体が取り組めるようにしていきたいと考えています。
また先ほどお話しした意見交換会のなかで、ゆくゆくは自治体がどのような人と連携していったらいいのかも考えられる場にしていきたいですね。地域気候変動適応センターだけで適応策は進められないけれど、でも一番適応にアンテナを張っているのはセンターなので、農業なら農産部、漁業なら水産部や漁協などと関係性を作りながら適応策が進められるように、自治体自身が輪を広げられるような支援をしていきたいです。
自治体の担当者が異動などで変わってしまうこともありますが、将来の目標についてみんなで認識を合わせていけば問題ないのかなと思っています。生産者は適応策をもう何十年も続けていて、これから先も続けていく人です。彼らがうまく適応できていればいいので、みんな同じ目標に向かっていけば、担当者は変わっても信念は受け継がれます。そこをうまく繋げられたらいいなと思いますね。

横浜ベイスターズのファンで、休みの日は野球を見て1日が終わることもあるという杉野さん。「毎年オフシーズンはどうやって過ごしていたか忘れてしまうんですよ」と笑います。CCCAへの出向により大学時代を過ごした茨城に再び戻ってきて、懐かしいと思うと同時に、緑の多さと農産物の豊富さにこの地の魅力を再確認しているそうです。任期終了まで、自治体の適応策推進に力を入れてくれることを期待します。杉野さん、ありがとうございました!
取材日:2024年7月10日