温暖化が進んでマラリアをうつす蚊が⽇本に⼊ってくると、⽇本でもマラリアが流⾏するのですか。
環境健康研究領域 総合影響評価研究室⻑
(現 環境リスク・健康領域 客員研究員)
実は⽇本にはすでにマラリアを媒介する蚊が広く⽣息しているのです。
⼀⽅、マラリア患者についてみると、国外の流⾏地で感染・発病して帰国するケースや国外で感染して帰国後国内で発病するケース(輸⼊マラリア)はありますが、国内で輸⼊マラリア患者から⼆次的に感染した例はありません。温暖化によって媒介蚊の⽣息域が拡⼤することは確実ですが、⽇本のように都市化が進み、衛⽣状態の整った国で、実際にマラリアが再流⾏する可能性は低いと考えられます。
1. マラリアが流⾏するための必要条件
マラリアは、マラリア原⾍を蚊が媒介することで伝染する病気で、患者の⾎を吸った蚊が別の⼈を刺すことによってうつります。流⾏に必要な要素は、(1) 患者、(2) 媒介蚊、(3) 刺される⼈、です。温暖化との関係を中⼼に詳しくみていきます。
- マラリア患者:⽇本のマラリア患者はすべて国外で感染したものです。したがって、マラリア患者が増える要因としては、海外旅⾏者の増加、現地滞在期間の⻑期化、秘境など訪問先の多様化、⽇本にやって来る外国⼈の増加、に加えて、温暖化によるマラリア流⾏地域の拡⼤(これまで安全だった地域が安全でなくなる、夏だけの流⾏が1年中流⾏する)が挙げられます。
- 媒介蚊:マラリア媒介蚊は⽇本に2種類います。⽐較的軽症の三⽇熱マラリアを媒介するシナハマダラカは⽇本全国に広く分布しています。⼀⽅、重症の熱帯熱マラリアを媒介するコガタハマダラカは沖縄の宮古・⼋重⼭諸島に分布していますが、今のところ、沖縄本島では⾒つかっていません。温暖化が進めば、沖縄本島から、九州南部、四国の太平洋地域まで拡がるといわれています。
- 刺される人:マラリア媒介蚊に刺される可能性のある場所に住んでいる、あるいは⽣活している⼈が問題になります。マラリア媒介蚊、特にコガタハマダラカは⼭裾の⼩川・渓流を好んで棲み、⾶翔距離もごく狭い範囲に限られているので、都市化の進んだ現在では、コガタハマダラカの生息する場所の近くで農作業や牧畜、⼭仕事などに従事している⼈が刺される危険性はありますが、多くの市⺠にとってはコガタハマダラカに刺される危険性は非常に⼩さいといえます。
2. マラリアが流⾏するためのもう⼀つの条件
(1) 患者、(2) 媒介蚊、(3) 刺される⼈、のどれかが⽋けてもマラリアは伝染しませんし、これらすべてがそろっても必ず流⾏が起きるわけでもありません。“媒介蚊が患者の⾎を吸って、別の⼈にうつす”、ここには、微妙なバランスが成り⽴っています。媒介蚊が吸⾎した直後の病原体は不活性で、この状態で刺されても感染しません。蚊の体内でおよそ10⽇間たつと病原体は活性化し、その後に刺された⼈は感染します。⼀⽅、マラリア媒介蚊の寿命は1週間から2週間です。つまり、病原体が活性化するまで蚊が⽣き延びて⼈を刺せばマラリアの勝ち、その前に蚊が死んでしまえば⼈間の勝ち、ということになります。
では、温暖化が進むとどうなるでしょう。⼤事なことがいくつかあります。暖かくなると、マラリア病原体の成⻑速度が速くなり、短期間で活性化します。またマラリア媒介蚊の寿命が延びます(図1)。これは、マラリア病原体が活性化するまで⽣き延びた媒介蚊が⼈を刺す、⾔い換えると⼀⼈の患者から次の感染が起きる可能性が⾼まることを意味します。もう⼀つ、暖かくなると媒介蚊の成⻑速度が速くなります。蚊は卵 → 幼⾍ → 蛹(さなぎ)→ 成⾍と成⻑していきますが、幼⾍から蛹、蛹から⽻化して成⾍、になるまでの時間が短くなります(図2)。温暖化が進めば、世代交代が速まり、これまで⽐較的密度の低かった温帯地域でもマラリア媒介蚊の密度が⾼まることを意味しており、⽇本についても、宮古・⼋重⼭諸島にわずかに⽣息しているコガタハマダラカが、⽣息範囲を拡げるだけでなく、⽣息期間、密度を⾼める可能性があります。
なお、図1では25℃、図2では28℃が蚊の⽣育にとって最適で、それより⾼温になると平均寿命が短くなり、⽣育速度が鈍っています。しかし、⽇本のような温帯地域の場合、温暖化により蚊の⽣育に最適な25℃、28℃へ近づくこととなり問題といえます。
3. ⽇本で再びマラリアの流⾏が起きる可能性は低い
実際に⽇本でマラリアが再流⾏するのか、マラリア患者 → 媒介蚊 → ⼈という環の中で考えてみましょう。
媒介蚊については、温暖化により⽇本でも流⾏を引き起こすのに⼗分な条件が整うことになります。残された要因は、輸⼊マラリア患者がどの程度増えるのか(感染源の増加)、⼈々の⽣活圏がどこまで蚊の⽣息地域に近づくのか(⼈と蚊の接触機会の増加)、です。現在、年間 100名弱の輸⼊マラリア患者が報告されています。※2000年以降は100名を切り、数十名程度になっています。これらの患者が⽇本全国に、しかもその多くが都市部に散っていき、仮に治療を受けなかったとしても、媒介蚊に刺される可能性は極めて低いといえます。しかし、将来マラリア流⾏地域が拡⼤し、⽇本と海外の⼈的交流が⾶躍的に増加すれば、輸⼊マラリア患者が急増し、国内で⼆次感染が起きないとはいいきれません。アフリカとつながりの深いヨーロッパの国々では、空港周辺で外国に出かけたことのない⼈がマラリアに感染するケース(空港マラリア)が問題になっています。
もう⼀つ考えなければいけない重要なことがあります。世界のマラリア流⾏地域をみると、流⾏の限界となっている地域には⼤きく分けて⼆つあることがわかります。⼀つは⾃然条件によって流⾏が押さえられている地域で、アフリカやニューギニアの⾼地がそれです。マラリア流⾏地域の中にありながら、⼀定以上の⾼地では気温が低すぎて媒介蚊が⽣息できず、マラリアが流⾏していません。こういった地域では温暖化の影響が確実に現れ、マラリアの流⾏が起こり得ると考えられています。もう⼀つは、⽇本をはじめ温帯地域にある多くの先進国で、公衆衛⽣という堤防で守られているため、本来ならマラリアが流⾏してもよい気候風⼟なのに流⾏が起きていない地域です。こういった地域では、温暖化による直接影響ではなく、温暖化によって社会・公衆衛⽣状況が悪化することの危険性が問題となります。しかし現実の⽇本は、温暖化によって社会・公衆衛⽣状況が悪化するほど脆弱ではなく、また都市化の進⾏によって 20年〜30年前のように⼣⽅外にいると蚊にさされるといった環境に戻ることも考えにくく、実際にマラリアが再流⾏する可能性は低いといえます。
4. デング熱
蚊が媒介するもう⼀つの重要な感染症・デング熱についてみると、患者はすべて国外で感染し持ち込まれる、媒介蚊のある種は国内に広く分布し、また別の種は⽇本のすぐ近くまで⽣息する、などマラリアと似た状況にありますが、⼤きく違う点が⼀つあります。デング熱の主要な媒介蚊(ネッタイシマカ、ヒトスジシマカ)は都市型で、⾝の回りにある⽔たまり(バケツの⽔、古タイヤの⽔、草花⽤の⽔、など)を好んで卵を産みつけます。⾃然環境を好むマラリア媒介蚊とは異なり、デング熱媒介蚊は都市化の進⾏した現在の⽇本でも私たちを刺す可能性は⾼く、温暖化が進みデング熱媒介蚊の⽣息域が拡がると、輸⼊患者からの⼆次感染の危険性が増すと考えられます。
特記すべき事項として、2014年の代々木公園におけるデング熱の国内感染が挙げられます。海外渡航歴のない人が公園内で蚊に刺されてデング熱に感染しました。その後、都内だけでなく、複数の道府県でデング熱患者の発生が見られましたが、そのほとんどが代々木公園での感染と考えられます。なお、少数例ではありますが、代々木公園以外で二次感染したと考えられる患者も見られました。代々木公園における蚊駆除などの対策に加え、デング熱ウィルスは越冬卵で次世代に継がれることはないとされていることもあり、その後の感染拡大は見られませんでした。
代々木公園でのデング熱感染は決して例外事象ではなく、今後も国内での感染が起きる危険性はあり、対策(国外での感染回避、国内各地における蚊駆除、等)を進めていくことが重要です。
5. 私たちにできることはなにか
温暖化により媒介蚊の⽣息域が拡がり、その密度が⾼くなるのを防ぐのは⼤変困難です。また、昔のように⼿軽に殺⾍剤を使⽤して蚊の撲滅をはかるといった⼿段もとりにくくなっています。しかしながら、マラリアの常在しない島国⽇本にとって幸いなことに、海外での感染を予防することで将来のリスクを減らすことができます。海外へ旅⾏する時、現地の安全情報だけでなく、感染症情報にも注意し、不⽤意に感染しないよう⼼がけることが、⾃分の健康を守るだけでなく将来の⽇本のリスクを減らすことにもつながるのです。
とはいえ、国内に眼を向けるだけでなく、海外のマラリア流⾏地域において、経済援助、技術協⼒等を通じたマラリア対策を推進していくことも忘れてはいけません。
1)地球温暖化の感染症に係る影響に関する懇談会(環境省) (2007) 地球温暖化と感染症
2)環境省地球環境研究総合推進費温暖化影響総合予測プロジェクトチーム (2008) 地球温暖化「⽇本への影響」—最新の科学的知⾒— (5.3(4) デング熱、マラリアの将来予測)
- 2008-09-01 地球環境研究センターニュース2008年8月号に掲載
- 2010-03-28 内容を一部更新
- 2024-04-04 内容を一部更新
- 2024-09-17 内容を一部更新