科学的知見を県の施策へ!実装を支える研究機関と行政の連携体制に迫る
全国の自治体の中でも先進的な気候変動の取組を続ける埼玉県。その政策を科学的に支援するのが埼玉県環境科学国際センター(CESS)です。2008年には独自のプロジェクトチームを立ち上げ「緊急レポート 地球温暖化の埼玉県への影響」を作成し、県に気候変動への備えの必要性を訴えました。2018年7月23月に全国最高気温41.1℃を観測した熊谷市が所在する埼玉県では暑熱対策が急務ですが、気温上昇がもたらす影響とその対策の効果を科学的に分析することで、「施策効果の最適化」に貢献しています。CESS研究推進室副室長の嶋田知英さんと温暖化対策担当研究員の原政之さん、埼玉県環境部温暖化対策課主査小林健太郎さんにお話をうかがいました。
研究機関として県の施策を支える
埼玉県の適応の取組におけるCESSの役割について教えてください。
嶋田さん:埼玉県環境科学国際センターの歴史は、前身である埼玉県公害センターが発足した1970年代までさかのぼります。当時は大気汚染や水質汚濁など公害対応が最重点項目でした。その後、温暖化防止や生物多様性保全のような地球規模の環境問題への重要度が増し、2000年4月に現行組織になりました。2008年に国が「地球温暖化 日本の影響」を発表したのを受け、同年にCESSで分野横断的なプロジェクトチームを立ち上げ、「緊急レポート 地球温暖化の埼玉県への影響」を発行しました。これが契機となり、2010年には温暖化対策担当が新設されました。原さんのような気象の専門家を招いたのも気候変動対策を強化するのが目的です。
原さん:気候の情報を正しく伝える役割が、自治体には必要と考えています。もともとは気象・気候の研究者なのですが、現在は行政が気候変動対策をするうえで、科学的な情報を正確に施策に反映させるためのサポートもしています。埼玉県の施策に対する助言のほかにも、出前講座による県民のみなさんへの普及啓発にも携わっています。CESSでは年間100本程度の出前講座を行いますが、そのうちの約10本が気候変動に関するもので、その数は徐々に増えています。参加者の皆さんにわかりやすく伝えられるよう、かみ砕いた解説を心がけています。
2018年6月に成立した気候変動適応法により、適応の情報収集・提供等を行う拠点として地域気候変動適応センターが各自治体に設置されることになりました。県の研究所としてこの役割をどのようにお考えでしょうか。
嶋田さん:地方公共団体にとって、今回の法制化は「適応のメインストリーム化」への大きな原動力になっていると思います。地域における適応策推進にあたり、行政と地域の研究所・大学機関との連携は必要不可欠です。そのため地域気候変動適応センターでは、専門性の高い科学的知見を咀嚼し発信することが求められるのではないでしょうか。今後適応策を継続的に推進するためには、各自治体と地域気候変動適応センターが密に連携し、施策への実装を強化していくことが重要だと考えています。
暑熱対策の積極的推進
現在、埼玉県で取り組んでいる適応策を教えてください。
小林さん:まずは暑熱対策です。2018年7月23日に熊谷市で41.1℃という気温が観測されたことからも、暑さ対策が急務です。埼玉県は、内陸県だけに海からの冷風が運ばれにくいうえ、北西の山から吹く風によるフェーン現象のために暑くなりやすくなっています。CESSでは県内の小学校約50校の協力を得て、校庭にある百葉箱の中に気温センサーを設置し、地域ごとのきめ細かい気温データを把握していますが、この観測結果から東部の都市部での高温が目立ちます。また熊谷地方気象台の年平均気温は、温室効果ガス排出量の増加による温暖化もあって、1898年から2017年にかけて約2℃上昇しました。特に1980年から2017年までの37年間の気温上昇率は顕著で、この期間を100年間に換算すると約5.0℃のペースで気温が上昇しています。
温度分布図
熊谷地方気象台の年平均気温の推移
原さん:暑熱対策を行うにあたっては、将来予測が大切です。環境省の予測を参考に県内で将来どの程度気温が上昇するかを解析したところ、今世紀末には20世紀末に比べて2.0~4.8度上昇するとの予測結果が出ています。つまり、埼玉県の年平均気温は現在15.0度ですが、このまま気温が上昇すれば、いずれは南国並みの気候になるということです。ここ数年、埼玉県では年間3000人前後の方が熱中症で救急搬送されており、このうち高齢者が占める割合が高くなっています。埼玉県は比較的若い世代が多いのですが、事態が深刻化する前から対策を進めていかなければなりません。
具体的な暑熱対策はありますか。
小林さん:県内のスーパー、金融機関、コンビニエンスストアなどを「外出時の一時避難所」「熱中症の情報発信拠点」と位置づけて、「まちのクールオアシス」として活用してもらっています。涼やかな青色のステッカーやポスターを目に付きやすい場所に貼ってもらっています。この取り組みは2011年に始まったのですが、協力施設は2017年度末までに6604件まで増えました。また、埼玉県では2016年度から3年間、ヒートアイランド対策を強化した住宅街の普及を目指した事業に取り組んでいます。風の流れを計算した街区設計、熱をためにくい舗装、断熱効果の高い住宅設計などの条件を満たす宅地開発に対策費の半額までを補助しています。住民からの評価も高く、今後も街づくりの暑熱対策のモデルとして普及させていきたいと考えています。
原さん:気温が高くなると「暑い」という不快感の問題にとどまりません。2010年、2012年には県の代表水稲品種「彩のかがやき」で、米の中心が白くなる高温障害が発生しました。健康、災害、産業のあらゆる分野に大きな影響を与えるので、できることから対応していかなければなりません。
特に力を入れている暑熱対策にはどのようなものがありますか。
嶋田さん:県の施設である熊谷スポーツ文化公園の暑熱対策を集中的に進めています。フットサルやテニスが楽しめる彩の国くまがやドームや陸上競技場などさまざまな競技場を備えているため、年間約70万人もの利用者が訪れます。公園内にある熊谷ラグビー場では、2019年にラグビーワールドカップが開催されるため、都市整備部公園スタジアム課が中心となって緑化や遮熱性舗装などを行っています。
原さん:熊谷スポーツ文化公園での暑熱対策は2016年度に着手しました。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の協力を得て、多くの人が競技場の間を行き来する並木道(幅8.2メートル、長さ390メートル)が真夏にどのような状態になるかを予測しました。この調査では、公園内の構造物、土地利用状況を把握し、風向き、天候、時刻をあらかじめ想定します。その上で、路面については、高い反射率の遮熱性舗装にするか雨などを吸収しやすい保水性舗装にするか、木陰を作り出す樹木の高さや植栽間隔などの条件を変えながら、シミュレーションを行いました。
国の研究プロジェクトを県の施策へ
ずいぶん大掛かりな実験のようですね。シミュレーションの結果は暑熱対策に活かされたのでしょうか。
嶋田さん:このシミュレーションは文部科学省のプロジェクト気候変動適応技術社会実装プログラム(SI-CAT)の一環として行われました。SI-CATには暑熱対策ワーキンググループが設置されており、我々CESSとJAMSTECに加えて長野県や筑波大学、立正大学などが参画しています。このワーキンググループで暑熱環境緩和のための適応策を定量的に評価することになり、熊谷スポーツ文化公園でのシミュレーション結果を検証したところ、一定の精度があることがわかりました。この取り組みについては新聞にも取り上げられています。このシミュレーション結果を利用することで、対策の実施前後に暑熱環境がどの程度改善されたのかを定量的に説明することができます。さらに植樹パターンを複数用意してそれぞれの効果をシミュレーション結果から判断することで、実際に施工する前に最適な木の植え方を選ぶことができました。
原さん:今回のシミュレーション結果から、県が熊谷スポーツ文化公園を対象に実施する並木道や小森のオアシス、遮熱性舗装などの対策の効果を、定量的に知ることが出来ました。例えば、小森のオアシスでは、気温が0.9℃低下することが明らかになりましたし、対策領域の暑さ指数も大きく改善し、熱中症予防指針で「厳重警戒」以上となるエリアも20%減少することが分かりました。また、対策の定量化だけではなく、対策の最適化にもシミュレーションの結果を活用しました。小森のオアシス沿い並木道では、事前に樹木を千鳥に配置した場合と、並行に配置した場合で比較し、千鳥の場合は5%日影が多くなることを明らかにし、その結果に基づき施工を行いました。この様な予測情報に基づき、実際の自治体施策を最適化したという事例は全国的に見ても決して多くは無いと思います。
シミュレーションから得られた地表面温度
(左)対策前(右)対策後/千鳥配置植樹および遮熱性舗装後
(JAMSTEC 作成)
CESSは国のプロジェクトにも積極的に参画されていますね。
嶋田さん:熊谷スポーツ文化公園への暑熱対策の実装は、SI-CATプログラムで行いましたが、このプログラムの成果は県内の他の緑化事業や街区のヒートアイランド対策の評価にも活用しています。SI-CAT以外の国の研究成果からもCESSが埼玉県の情報を抽出して県の施策に落とし込めるよう整理しています。
原さん:こうした国のプロジェクトに参画することで、最新の気候変動予測、ダウンスケール、影響予測といった最新のデータにいち早く触れられることが、プロジェクト参画の一番大きなモチベーションになっています。また、最近のプロジェクトでは、研究成果やデータを県や行政に提供して活用してもらいたいという傾向があります。SI-CATでは埼玉県レベルの熱中症搬送者数の予測を筑波大学と共同で行っていますが、環境省が実施する地域適応コンソーシアムでは、SI-CATで用いた手法をさいたま市に応用できるか検証しているところです。我々の研究所は、こうした国のプロジェクトで得られた科学的情報を自治体の施策に反映させるパイプ役となれるように努めています。
県のために、県とともに
県の研究所でのお仕事について、お二人の想いをお聞かせください。
原さん:気候の情報を正しく伝える人が自治体にも必要なのでは、という思いで埼玉県に来ました。それまでは研究機関でS-8やその他国のプロジェクトに関わっていたのですが、プロジェクト成果を実装していくのは自治体です。実装する人たちが気候の情報を理解し、データを活用するための支援ができるよう、日々の業務に取り組んでいます。研究から自治体にフィールドを移したわけですが、埼玉県のヒートアイランド事業の検証に携わり、対策評価や観測を一緒に進めていくなかで、機会を見つけては担当の方たちに気象について知ってもらえるよう話をしています。こうした県との連携の中で、自分の知識が役に立っていることが実感でき、非常にやりがいを感じています。
嶋田さん:県内の中心部には開発が規制された「見沼たんぼ」という緑地空間あります。1260ヘクタールほどもある広大な土地ですが、こうした空間が都市部での暑熱の軽減に大きく貢献しているのではと考えることがあります。個人的にはこれをモデルで再現実験することで、緑地の大切さについて伝える機会があればと思います。気温を下げることは時間がかかり大変なことなので、いかに快適な空間を作るかということを考えていくことが大切と考えています。また、今後はインフラの老朽化対策などの社会変動にも気候変動影響への適応といった視点を取り入れ、一体で検討していくことが必要になるでしょう。県の研究所として適応策推進のために専門的知見を蓄積し、県と共に悩みながら対策を実装していく専属のコンサルタントのような役割をこれからも続けていきたいと考えています。
(2018年9月5日掲載)