気象観測を始めて20年。将来に繋げるモニタリング
長野県は3000m級の山々に囲まれ、南北に広く複雑な地形をしています。1998年には長野オリンピックが開催され、全県を挙げて希少な自然環境の保全に努めてきました。長野県環境保全研究所(飯綱庁舎)では、2003年から地球温暖化対策として気候変動に関する研究をはじめ、2010年からは数少ない地方公共団体として国の研究プロジェクトに参画しました。2013年度に策定した「長野県環境エネルギー戦略~第三次長野県地球温暖化防止県民計画~」では、適応策パッケージの位置づけに貢献し、2014年には信州・気候変動モニタリングネットワークを設立しました。長野県における気候変動への適応を先導する長野県環境保全研究所自然環境部温暖化対策班の主任研究員浜田崇さんにお話をうかがいました。
独自の気象観測で地域の実態に迫る
長野県庁から車で北東に30分。長野県環境保全研究所飯綱庁舎があります。研究所の役割、気候変動に関する取組について教えてください。
飯綱庁舎は、1996年に長野県自然保護研究所として開所しました。長野県は北海道に次いで高山帯の面積が広く、3000mを超える山岳の数は全国最多です。標高の高い地域は環境が厳しく、非常に希少な動植物が生息しています。そうした県の重要な自然環境を保全するための研究を行うことが研究所の役割です。
私は東京出身で、学生の頃は都市のヒートアイランドに関する研究を行っていました。就職を機に長野県に来てから、地球温暖化対策に関する研究を始め、2003年度から気候変動に関する研究を立ち上げました。当時の地球温暖化対策は緩和策が主流でしたので、県内の温室効果ガス排出量の推計をしながら、気候変動に関する国内外の情報収集を行っていました。地球温暖化の影響を知るには、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第三次報告書や環境省の資料をとても参考にしていました。ですが、ホッキョクグマやサンゴ礁への影響などの情報は、海のない長野県の市民の方々にはピンとくる情報ではなく、地域の実態を把握するには自分たちで気象データを収集して分析する必要があると考えました。2003年度に立ち上げたプロジェクトでは、こうした視点を取り入れて、県内の気象庁の気象データの解析や地域の生物影響を調べるためのモニタリングなどを実施しました。その結果を報告書としてまとめ、2008年に公表しました。この報告書が法政大学の田中充先生の目にとまり、環境省環境研究総合推進費戦略研究開発領域S-8(温暖化影響評価・適応政策に関する総合研究)に参加しないかと声をかけていただきました。2010年から5年間S-8に参画し、それに引き続き、2015年からは文部科学省気候変動適応技術社会実装プロジェクトSI-CATに参画したことで、県内の気候変動に関する研究が飛躍的に進み、気候変動への適応の検討を進める大きなきっかけになりました。
モニタリングを始めたのは、地域の実態を把握するためだったのですね。モニタリングを継続する意義をどのようにお考えですか。
一番古いところでは約20年前から気象のモニタリングを実施していますが、気候変動の実態を捉えるためにはまだ十分な量のデータとはいえません。将来起こりうる気候変動を評価するためにも、今後も継続的に取り組むことが必要だと考えています。また、それぞれの地域でモニタリングを実施すべき場所や項目は必ずあると思います。長野県の場合は、その場所が山岳地でした。今データを取らなければ一生そのデータは得られませんので、そのような場所があれば直ぐにでも気象のモニタリングを実施することをお薦めしたいと思います。ただ、自治体によっては気象の専門家がいない場合もあると思います。気象モニタリングは観測の仕組みを作ることさえ出来れば、それを県や市町村担当者が継続することは決して不可能ではないと思います。各地で独自の気象モニタリングが進むとうれしいですね。
私自身、モニタリングの手本にしているのはハワイ島マウナロアで行われている二酸化炭素濃度の観測です。キーリング氏が二酸化炭素濃度の観測を長期にわたり続けたことで、地球の二酸化炭素濃度が上昇していることがわかり、温暖化研究が発展するきっかけになったことはよく知られていると思います。このような優れたモニタリング事例は、モニタリングを始めることの動機付けになるのではないかと思います。
気候変動に関する国の研究プロジェクトに参画して得られた成果は、どのようにアウトプットされてきましたか。
S-8では地域の温暖化影響評価と適応策立案手法の開発を行いました。埼玉県や東京都など他の自治体が農業やゲリラ豪雨といった特定の分野に関する影響評価研究を行ったのに対して、長野県では生態系への影響評価に加えて、県の気候変動適応策の立案につながるような取組が求められていました。自分たちの研究成果に加えて、S-8プロジェクトから提供されたさまざまな分野の影響評価などの成果を県の環境部などに提供しながら、適応に関する計画を策定するように働きかけていました。ちょうどそのタイミングで、長野県の温暖化対策の実行計画の改定が行われ、S-8の成果が活用されることとなりました。この実行計画は、2013年度に「長野県環境エネルギー戦略」として策定されました。戦略はエネルギー政策と温暖化対策を合わせた計画で、その中に適応策パッケージとして、適応に関する計画が位置づけられました。これにより信州・気候変動モニタリングネットワークと信州・気候変動適応プラットフォームが組織されることになり、現在の県の適応策推進体制の構築に繋がっています。SI-CATではこの推進体制がしっかりと動き出すことを目標に現在研究を進めています。SI-CATの研究成果の活用例の一つになりますが、長野市教育委員会が長野市内の小中学校にエアコンの設置を検討した際には、JAMSTECで計算していただいた気象の数値シミュレーションの結果が参考資料として活用されました。今後もこうした研究成果を適応の現場に使えっていただけるような機会を少しでも増やせるよう行政との連携を進めたいと考えています。
気象庁観測地点数の9倍!
豊富な観測地点を誇るモニタリングネットワーク
2014年に設立した信州・気候変動モニタリングネットワークでは、どのような取組を行っていますか。
長野県は面積の8割を山が占め、標高の差や複雑な地形などから地域毎に気候特性が異なっています。気象庁の地域気象観測システム(アメダス)は、気温の場合、平均的に20km間隔で観測をしています。長野県では20kmも離れると一山超えてしまい、その間の状況を把握するにはアメダスの観測だけでは足りないと思いました。そこで、気象庁以外に観測を行っている国や県、大学、研究機関などが所有する気象情報を集めて、それらを細かく分析することが必要ではないかと考え、県内の気象情報を一元的に収集する組織として信州・気候変動モニタリングネットワークを2014年度に立ち上げました。また、アメダスの観測の目的は主に防災なので、観測地点は人が住む地域に設けられています。そのため、標高1500mを超えるような環境にはそもそも観測地点が設置されていません。長野県の標高の高い山岳地帯にはライチョウや高山植物などの希少な動植物が生息生育していますので、そのような場所では研究所が独自に観測機器を設けて気象のモニタリングを行うようにしています。このデータもモニタリングネットワークで収集・整備するデータベースに登録されていきます。こうした山岳地には、雪がない7~10月に出かけて、観測データの収集や機材のメンテナンスなどを行っています。
フィールドワークでは研究員が山を登り、観測機材を設置して現地調査を行っているのですね。そのような活動を通して、気候変動による影響を実感されることはありますか。
実際に山道を歩きながら気候変動による影響を感じることは少ないですが、シカの食害による影響を受けている地域は目立っています。近年、南アルプスでは、シカが高山帯の植物を食べ尽くしてしまい多くの花々が消失しています。北アルプスではまだそれほどの影響が出ていませんので、現在シカが何処まで生息域を拡大しているのかを把握するため、北アルプスにセンサーカメラを設置してシカの動向のモニタリングを行っています。また、信州大学との共同で、捕獲したシカ本体に発信機を付けて行動を追跡するなどの調査も行っているところです。希少な植物の保護という観点からは、霧ヶ峰高原では一部に電気柵を張ってシカの食害からニッコウキスゲを守る対策を行っています。柵を張れば、柵の中はシカの食害から免れることができるためニッコウキスゲの花は咲きますが、一方で花の写真を撮りに来る人は柵越しに撮影せざるをえませんので、観光面では大きな影響となっています。県では野生鳥獣の個体数を管理しており、年間2万頭以上のシカを捕獲していますが、それでもシカの影響の勢いは止まりません。私たちとしてはシカがどのようなルートで生息域を拡大するのかを突き止め、先手を取った対策を打てるような資料を提供することが急務だと考えています。こうしたシカの生息域の拡大には気候変動の影響が少なからずありそうだということが最近の研究成果からわかりつつあります。気候変動の影響から高山植物を保護するという観点からも、シカの行動に及ぼす気候変動影響を把握することは 重要だと考えています。
一般の方は普段あまり訪れることのない山岳地域ですが、県内では少しずつ影響が生じているのですね。長野県では山間部はじめ多くの地域に気象観測地点を設けられていますが、アメダスの気象台を含めてどれくらいの数があるのでしょうか。
長野県内のアメダスは雨の観測地点が45箇所、このうち気温や風などを加えた観測地点が29箇所あります。また、そのうち8箇所では積雪も観測しています。モニタリングネットワークでは、アメダス以外の国や県などが観測している気象データ(主に気温、雨、雪の3要素)を収集しています。これらの観測地点数は最大でアメダスの約9倍になります(図)。これは県内の複雑な気候特性を把握するにも十分な観測密度といえます。今後、市町村や民間が所有する気象情報も収集することができれば、高密度なデータベースができあがると考えています。また、長野市内の小学校44校の百葉箱の中に、7年前から温度計を設置し気温の観測も行っています。3ヶ月ごとに現場を訪れてデータの回収を行っています。
長野県では非常に多くの観測地点を設けているのですね。信州・気候変動モニタリングネットワークでは、それらすべてのデータを管理されているのでしょうか。
現在、モニタリングネットワークは国や県などの公的機関、信州大学や国立環境研究所などの研究機関をあわせた50の団体で構成しています。その参画機関が所有する気象データや影響に関する情報を収集し、詳細に分析することがモニタリングネットワークの目的です。現在は民間事業者による参画はありませんが、電力会社のようにダム管理のため山間部で気象観測をしている企業もあります。そのようなデータを無償で提供していただくのは難しいと思いますが、今後モニタリングネットワークから企業にとっても有益な情報を提供できるようになれば、声をかけてみたいと考えています。また、県内の市町村でも気象観測を行っているところもありますので、いずれは参画を依頼したいと考えています。ただし、収集するデータが多ければ多いほどデータの整理や解析にかかる労力も大きくなります。現在の人員体制でこれら全てのデータを扱うのは現実的ではありませんので、まずは作業効率を上げるためのシステム化を進め、標準的な解析の方法の検討を優先しています。
市民、公共団体、大学研究機関と協働する適応推進
長野県では一般市民を対象に市民参加型モニタリングを実施されていましたね。市民を巻き込む取組に着目された理由を教えてください。
長野県には、県外からの移住者も含めて、長野の自然を愛する市民はたくさんいると思います。一方で、自然に対してあまり関心のない市民も一定程度います。そのような人達に対して、地域の自然の変化に少しでも目を向けてもらいたいという想いが、市民参加型モニタリングの取組を始めたきっかけです。市民参加型モニタリングのポイントは、面白そう、楽しそうといった入口がまず重要だと思います。また、市民が収集したデータの中には情報の精度に多少の問題が含まれる可能性もありますが、一定数以上の数を見込めればその問題をカバーすることもできます。さらに、数が集まれば参加者へのフィールドバックがしやすくなり、参加者のモチベーションの継続にも繋がると思います。このようにしてデータを長期的に収集し、自然環境の変化を明らかにするツールとなることを期待しています。私たちが行っています市民参加型モニタリング「信州・温暖化ウォッチャーズ」では、多い時には200名ほどの参加者がいましたが、現在は参加者の高齢化やモチベーションを維持することの難しさといった課題が多く、当初思い描いていたようにはなかなか進んでいないのが実情です。一方、アメリカやヨーロッパなど、市民参加型モニタリングの取組みが盛んに行われている地域もありますので、そうした事例を参考にしながら今後の進め方をさらに検討する必要があると考えています。
信州・気候変動モニタリングネットワークでは、2017年に信州・気候変動モニタリングネットワークレポート2015を発行されています。その特徴を教えてください。
モニタリングレポート2015では、アメダスのデータを中心に過去から2015年までの長野県内における気温や降水量、積雪の変化などを詳細に記載しました。また、2015年の長野県の気候の特徴も載せています。現在はレポートの2016年版、2017年版を作成しているところです。毎年2015年版と同じように作成するのは、実はかなり大変な作業になるので、2016年版や2017年版では、特筆すべき項目や話題を盛り込むようにして、その年の長野県の気候の状況がすぐに分かるような内容を予定しています。
このレポートの作成にあたっては、長野地方気象台の全面的な協力をいただいています。気象台を通じて、気象庁東京管区気象台の温暖化担当の専門家にも内容を確認いただいています。これはレポート作成においてはとても大きな支援となっています。地方自治体と気象台が連携して地域の気候変動の情報をまとめるという取り組みは全国的にも珍しいのではないでしょうか。
これから適応策を普及していくためには、気候変動に関する情報をもっと提供すべきだと考えています。地域から発信する気候変動の情報源として、モニタリングレポートがさまざまな媒体を通じて活用され、地域の実態を知るきっかけになればうれしいです。
2018年12月には気候変動適応法が施行されました。今後は研究所としてどのような取組を検討されていますか。
まだ具体的に取組を検討しているわけではありませんので,個人的な意見になります。たとえば、環境省地域適応コンソ―シアム事業や適応法に記載の広域協議会のような地方毎のブロックを一つの単位として、その中の自治体間で共通のテーマを設定した共同研究ができたらいいのではないかと思っています。県境でエリアを区切るのではなく、流域を一つの単位と捉えると、長野県の場合にはその下流にあたる岐阜県や静岡県といった近接自治体と連携する必要が出てきます。流域における気候変動への適応策を関係自治体で連携して検討するような共同研究に発展できたらおもしろいのではないかと思っています。また、全ての分野において共通すると思いますが,あらゆる影響が気候変動だけで生じるわけではありません。そのため、環境と土地利用や、まちづくりと適応など、異なる分野の対策を組み合わせることが必要だと思っています。そうした研究も進めることができたらいいなと思います。また、気候変動対策の中には、緩和と適応がトレードオフの関係にあるものもあります。バランスの取れた施策を進めるためにも、トレードオフの評価も重要なテーマの一つだと思っています。
県単体ではなく近隣自治体や関係機関との連携なども視野に入れているのですね。最後に、研究者として気候変動適応に携わるモチベーションは何ですか。
当研究所は各研究分野に研究員が一人です。人的資源や予算も決して多くはないため、気象の担当一人で気候変動の研究全てを担うことは難しいです。また、研究設備的にもSI-CATなどの国のプロジェクトで実施されるような最新技術を用いた将来予測を行うことは無理です。しかし、S-8やSI-CATのような国の研究プロジェクトに参画できたことで、気候変動の将来予測や分野別の影響評価を実施するような共同研究体制を築けました。これが、気候変動の研究を進めていくうえで大きなモチベーションになっています。また,地方研究所の研究者同士の繋がりも生まれました。埼玉県など先進的な自治体から刺激を受けることも多く、県内で適応を推進する力に繋がっています。今後も地域の気象観測を継続するという自分の役割を達成することを目標に持ちながら、多くの研究機関や地方研究所の人達とともに共同して、地域における気候変動の適応を進めていきたいと思います。
(2019年3月13日掲載)
関連サイト(2022年5月10日更新)