インタビュー適応策Vol.34 日立市

地方自治体として最も早く天気予報を開始!貴重なデータを残す日立市天気相談所

取材日 2022/5/23
対象 日立市天気相談所 気象予報士 池田恵介

はじめに日立市天気相談所の概要をお聞かせください。

天気相談所は昭和27年に開設され、今年の6月1日に開設70年を迎えました。前身は、明治43年、神峰山頂に建てられた観測所です。日立鉱山の銅の製錬により発生する煙に含まれる硫黄分による煙害により、樹木が枯れてしまったり、健康被害の報告が増える中、企業が率先して地元と協力して対策を行い、今から100年以上前から大きな煙突を立てて煙を拡散させました。当時の観測所には人が常駐し、煙の様子や気象を観測し、煙が地上に影響が出やすい気象条件の際には銅の生産量を減らすなどの対応をしていたようです。

戦後の昭和26年には硫黄分を取り除くことが出来るようになり、日立鉱山としての観測の必要はなくなりましたが、まだ気象観測所が自動化されていない当時、継続的な観測は貴重だったため、昭和27年に全国初の市営の天気相談所が誕生しました。今のように自動で観測が行われ、ネットワークでつながるようになる前までは、百葉箱に入った棒状の温度計を見て、観測野帳に気温を記入するといったことを行っていました。これらのデータは鉱山時代も含めて100年以上遡ることができる貴重な記録です。

鉱山時代は、まだ気象観測の黎明期ですが、最新の知識を学んだ専門家の指導を受けた職員が、日常の観測業務を行っていました。天気相談所設立以降は、気象庁の職員を日立市職員として迎え入れて、職員を指導し、業務を行いました。現在は気象予報士の資格を持った職員が業務を行っています。
1994年に気象予報士制度ができ、天気相談所にも気象予報士の配置が必須となったため、当時の職員が勉強して資格を取得して廃止の危機を乗り切りました。現在、日立市役所全体で気象予報士の資格を持った者が4人おり、そのうち3人で365日の業務を行っています。

具体的にはどのような観測が行われていますか?

昭和27年に市役所に観測所を設置後、順次観測所を増やしていき、現在は日立市内7地点に観測所があります。最初はネットワークにつながってはいませんでしたので、観測データを現地に取得しに行くようでしたが、2001年に電話回線で市役所と結び、市役所でデータを取得できるようになりました。2014年からは携帯電話のネットワークを使う仕組みに更新し、観測項目も、防災の面での最低限の観測である降水量のみから、気温、風向、風速、湿度も追加しています。気圧や日射量なども観測している市役所観測所のデータとあわせて、天気相談所事務室内で管理しています。また、人の目による天気や大気現象の観測も市役所では行っています。市内に600メートルの山があり、標高の高さによって山は雪でも市街地は雨など天気も異なる場合があるため、さらに観測所を増やしていきたいと思っていますが、なかなか難しいところではあります。

観測しているデータをどのように発信していますか?

今年4月から天気相談所ホームページを新しくし、10分間隔で各観測所の最新データをリアルタイムで発信しています。また、天気予報も7か所の観測所ごとに出していますので、近場の天気予報を活用いただければと思っています。 日立市では各家庭に戸別受信機を配布しており、情報を伝達できる防災行政無線があるため、こちらにおいても随時情報を発信しています。特に災害の危険性が高い場合(台風や大雪などが予想される際、熱中症警戒アラートが発表された際など)には随時注意喚起を行うこともあります。日立市は猛暑日のような気温の高い日は多くないのですが、逆に暑さに慣れていない市民の方も多いので、急に気温の変化がある予報の場合はお伝えするようにしています。

市役所の業務として最も重要度の高い防災対応については、市長が避難所設置や避難指示を判断する会議の場において、天気相談所で独自に予測した資料を提供しています。なお、天気相談所は一般向け予報の許可を取得しているため、気象業務法により、市民の方に広く独自の台風予報などを発表することは制限されているのですが、この防災のための予想は、市役所のみでの利用のため一般向けに発表できないところまで、情報を提供しており、いつごろ台風が日立市に接近するのか、どのくらいの雨量や総降水量になるのか、いつが一番風が強くなるのかなどを予測して、災害対策本部の会議で解説し、何時までに避難の準備をすれば良いのか等の判断材料に使われています。市役所の中に気象に関する専門部門があるところは全国に日立市だけで、他の市町村ではどのようにしているか聞いたことがあるのですが、民間の会社に契約しているところもありますが、気象台と連絡をしたり、テレビやインターネットなどにより情報を収集しているそうです。なお、日立市の場合毎日気象台に観測データの提供をしたり、情報交換も行っています。

開設70年を迎えて、過去からの天気の変化はどのように感じられていますか?

日立市の場合、平均気温にはあまり変化がありません。これは海や山が近くにある影響かと思われます。ただ、真夏日の日数を見ると、開設当時は「多くて20日前後」でしたが、1990年代以降は「少なくて20日前後」となっています。また冬日の日数は、少なくなってきている傾向は把握できます。
また、桜の開花については、年ごとの差は大きいですが、平均を取ると少しずつ早くなっている傾向があります。昔は4月の入学式頃に桜が開花していたのですが、最近は満開になっており、近年では3月中に満開になってしまうこともあります。地球温暖化の影響かもしれませんが、都市化や周辺環境の変化、基準としている木が古くなってきたなどの影響も考えられます。

今から約100年前、煙害対策として山に植樹を行ったときに、煙に強いと言うことで、大島桜などが多く植えられました。そのことから、日立市には桜の木がたくさんあり、駅前の通りなどでは毎年大規模なイベントも開催しています。過去の満開日などの観測データを用いて日程は決められています。天気相談所では独自の開花予測も行っていて、イベントの日程を決めるのはかなり早い時期のため独自の開花予測は直接利用されていませんが、当初決めた日程とずれると予想された場合は、前後の週にもイベントを行うようにするなど、最近は対策がとられるようになっています。

観測所を自前で持たない自治体に向けてなにかアドバイスはありますか?

市の業務としてお金をかけて気象観測をするべきか判断が分かれるところだと思いますが、防災関係に天気の情報は重要になります。他の市町村では、民間の気象会社と契約して情報を購入したり、比較的安価な観測機器を購入し、太陽光発電を利用して観測するなど、工夫して機器を設置している自治体も増えてきているようです。防災面や熱中症対策など、市の業務に天気が関わる場面も増えているので、観測機器の進化をうまく利用し、安く導入する方法を検討してもよいと思います。日立市でも新たな機材を増やす場合、そのような機器の導入を検討しています。

天気相談所の業務のやりがいや、今後の展望についてお聞かせください。

私は中学生のときに、日立鉱山の煙害問題の解決に向けて苦闘する『ある町の高い煙突』という小説を読み、天気相談所の存在を知りました。「すごい施設があるんだな、こんな仕事に関わってみたい」と思ったのが天気相談所を目指した理由です。
そのときにちょうど日立市の職員で気象予報士の第一号が誕生したのですが、当時新聞に載っていて「気象予報士の資格を取れば天気相談所に入れるんだ」と思ったんですね。そこから私も試験を何度も受け、ようやく合格を手にすることができました。
天気相談所で仕事をしていて、電話や出前講座などで直接市民と接することもありますが、この時に役に立ったなど言ってもらえるモチベーションにつながっています。また、防災対応をしていて、何の災害もなく無事に過ぎていったときは、緊張から解放され心からほっとします。

日々の業務は観測と予報の繰り返しで、とても地味なのですが、観測は、その時に行っていないと記録に残らないものであり、過去に遡ってすることはできません。将来の人のためになっているのではないかと思うと、普段の業務も大事にしないといけないと思っています。また、市民の方には見られないが縁の下の力持ちとして防災対応の業務に関わっていることも大変やりがいを感じます。今後も天気相談所は続けていきたいと思っていますが、継続するためには市民の皆様に還元し、理解を得る努力を続け、使ってもらえる施設にしていく必要があります。70年の歴史の中で諸先輩方が蓄積してきた知識が、今の予報や防災対応に生きています。市役所は人事異動が多く、防災担当のものも3、4年で変わってしまいます。5年前の台風と同じようだといっても、その時経験した者が居ないと言うことがありますが、天気相談所は継続的に関わっているため、予報や対応策などについて過去の情報を適宜提供できることも重要な役割だと感じています。また、長く続けていくためには人材が重要となりますので、気象予報士を取ってくれる若手の職員が出てくれることを期待しています。

この記事は2022年5月23日の取材に基づいています。
(2022年9月30日掲載)