2021年に英国・グラスゴーで開催された国連の気候変動枠組条約の会合で、気温上昇を1.5℃以内に抑えるとの目標に世界各国が合意したそうですが、北海道のように、1.5℃くらいの上昇であればかえって過ごしやすくなる地域もあると思います。気温上昇抑制の目標はどういう考え方に基づいて決めているのですか。
地球環境研究センター
温暖化リスク評価研究室 主任研究員
(現 社会システム領域 副領域長)
気温上昇抑制の目標は、許容しがたい影響の回避という観点から、温暖化影響に関する科学的知見の蓄積を参照しつつ、総合的に検討されます。しかし同時に、過度に厳しい目標では実現可能性に欠け、長期的視野をもって温室効果ガス排出削減を推し進めるための目標として機能しなくなります。目標達成により軽減できる影響被害量、目標達成しても残る影響被害量、目標達成に要する排出削減努力、これらを総合的に判断し、目標が提案されます。2021年のグラスゴー気候合意に含められた目標も、そのバランスを取ったうえでの政策的判断といえます。
1. 気温上昇抑制目標の議論で注意すべき二つの点
ご質問にお答えする前に、抑制目標の議論で注意すべき点をいくつか整理しておきたいと思います。質問文中の「気温上昇を1.5℃以内に抑える」というのは、より正確には「工業化前と比べた全球平均の年平均気温の上昇を1.5℃以内に抑える」と表せます。気をつけないといけない点の一つめは、「いつと比べた気温上昇か」という点です。基準年を工業化前(人為的な温暖化が起きる前)にとる場合と現時点にとる場合がありますので、それらを混同しないことが必要です。IPCC第6次評価報告書(IPCC-AR6)によると、1850~1900年(工業化前に相当)から2011~2020年(現在)までに、すでに全球平均約1.1℃の気温上昇が生じていますので、たとえばご質問にあるグラスゴー気候合意の目標は、「2010年代以降の全球平均気温上昇を約0.4℃以内に抑える」という目標に相当します(以下本文では、特記しない場合、「全球平均気温上昇」とは、工業化前に比べた全球平均の年平均気温の上昇のことを指します)。
注意すべき点の二つめは、「全球平均の気温上昇か、地域的な気温上昇か」ということです。たとえば全球平均気温上昇が1.5℃だとしても、地域的に見ると年平均気温上昇が1℃のところもあれば3℃のところもあります。一般的には、海洋に比べると陸地で、低緯度に比べると高緯度で、より大きな昇温が起きると予想されています。言い換えると、全球平均気温上昇1.5℃のときに、ある地域で生ずると予想される影響は、必ずしもその地域の気温上昇1.5℃で生ずる影響というわけではありません。また、この地域差は気候モデルにより予測結果に幅があります。国立環境研究所ではIPCC-AR6の評価対象とされた複数の気候モデルによる排出シナリオ別の気候予測出力について、国内各県(気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)の気候変動の将来予測WebGIS)や世界各国(アジア太平洋気候変動適応情報プラットフォーム(AP-PLAT)のClimoCast)で概観できるデータベースを提供しています。例えば、ClimoCastに掲載されている東京大学・国立環境研究所・海洋研究開発機構が開発し、広く活用されている気候モデルMIROC6では、パリ協定の2℃目標に整合的な排出経路(SSP126)を想定した場合、1981-2000年比で2091-2100年には、日本で1.88℃、カナダ2.96℃、インドネシアで0.76℃の昇温と予測しています。(図)
2. 目標設定は総合的な政策判断に委ねられる
次に、全球平均の気温上昇を1.5℃以下に抑えるという目標とは、影響の大きさで見るとどのようなものであるかについて説明します。実は、全球平均気温上昇1.5℃以下の目標を達成できても、すべての分野・地域で悪影響を回避できるわけではありません。工業化以降現在までに約1.1℃の全球平均気温上昇が現れていることはすでに述べましたが、脆弱な分野・地域においてはその影響が顕在化しつつあります。したがって、今後温暖化が進行すると、それらの影響はさらに大きなものになると予想されます。例としては、動植物の分布変化、希少生物の絶滅、山岳氷河の後退などが挙げられます。また、低緯度地域の途上国では、作物の成長適温の上限付近で農業が行われていたり、非灌漑農業が支配的で乾燥に脆弱であったりするため、全球平均の気温上昇が1.5℃以下でも農作物収量に悪影響が生ずると予想されています。1.5℃を超えて気温が上がり続けると、さらに悪影響にさらされる分野・地域が拡大します。
一方、全球平均気温上昇1.5℃程度では、好影響が生ずる地域・分野も存在します。例としては、高緯度地域における農作物の栽培適地拡大/成長期間増加や冬季の暖房エネルギー需要減少などが挙げられます。ただし、好影響が期待できる場合でも、新しい環境条件に合わせた農業経営や住居環境にするためのコストが必要であることには注意が必要です。たとえば、元々農業が行われていなかった地域が栽培適地になったとしても、新たに農地に転換するための努力が必要です。また、たとえ寒い気候が日々の生活に制約を及ぼしている高緯度地域であっても、(排出削減対策を取らねば十分に起こりうる)5℃を超すような急激な気温変化に対しては悪影響が卓越しますから、社会・経済システムの急激な調整が必要となり、コスト的にも大きな負担を被ることになるでしょう。
ひとことでいうと、気温上昇抑制等の長期目標は、許容しがたい影響を回避するという観点から、気温・降水等の気候変化により引き起こされる影響に関する多様な分野のさまざまな科学的知見の蓄積を参照しつつ、総合的に検討されます。しかし一方で、目標達成のための排出削減にも努力(コスト)が必要ですので、過度に厳しい目標では実現可能性に欠け、長期的視野をもって排出削減を推し進めるための目標として機能しなくなります。目標を達成することで軽減できる影響被害量、目標を達成しても残ってしまう影響被害量、目標達成に要する排出削減のための努力量、これらを総合的に判断し、目標が提案されます。グラスゴー気候合意における1.5℃目標も、そのバランスを取ったうえでの、政策的判断であるといえます。
3. 世界全体の合意形成の障害を乗り越える必要
実は、全世界での気候目標への合意としては、グラスゴー気候合意(2021年)以前にも、パリ協定(2015年)の「全球気温上昇を2℃よりも十分低く抑えるとともに1.5℃に抑える努力を継続する」、カンクン合意(2010年)の「全球気温上昇を2℃までに抑える」などがありました。しかし、カンクン合意以前には、EU以外の国や地域では明確な数値目標を提案しているところは多くはなく、世界全体での目標の合意形成は存在していませんでした。では、世界全体での合意形成に時間がかかったのはなぜでしょうか。
まず、温暖化により生ずる影響(およびその回避)への価値づけが、それを判断する個人・集団・国家により大きく異なることが、合意形成を困難にする要素の一つであったと考えられます。限られた地域にのみ分布する動植物などは全球1℃程度の比較的小さな気候変化でも絶滅リスクが高まりますが、それを深刻な事態と考える人もいればそう考えない人もいます。また、島や沿岸部に住む人々と高地に住む人々では、許容可能な海面上昇量に違いが生ずるでしょう。温暖化にともない多大な悪影響を被る地域と好ましい影響を受ける地域とでは、当然ながら考え方も変わってきます。多岐にわたる温暖化影響それぞれについて価値づけを行ったうえで、それらを足し合わせて得られる総体的な影響被害量の見積もりには、判断主体により大きな差が生じることになり、結果的に長期目標についても異なる主張がなされることになります。このため互いの主張する長期目標がいかなる価値観・考え方に基づき提案されたものであるのか、相互に理解を深めつつ、合意を目指した議論を進めていく必要がありました。
また、目標の判断材料となる個別の科学的知見の精度・信頼度も、長期目標を左右する重要な要素です。実際、カンクン合意からパリ協定、グラスゴー気候合意と目標が引き上げられた背景には、IPCC第5次評価報告書(2013~2014年)、IPCC1.5℃特別報告書(2018年)ならびにIPCC-AR6第一作業部会報告書(2021年)で示された新たな科学的知見が影響していると考えられます。
- Cointe, B. and Guillemot, H. (2023) A history of the 1.5℃ target. WIREs Climate Change,14(3), e824. ( https://doi.org/10.1002/wcc.824 )
- 2007-03-01 地球環境研究センターニュース2007年2月号に掲載
- 2014-09-13 内容を一部更新
- 2024-09-24 内容を一部更新