瀬戸内海をはじめ日本の内湾や沿岸域の水質はきれいになりましたが、一方では栄養が不足し、漁獲量の減少やノリの色落ちが生じていると聞きました。これは気候変動の影響でしょうか?
地域環境保全領域 海域環境研究室/
気候変動適応センター
瀬戸内海のように陸域からの流出の影響を強く受ける閉鎖性海域では、豊富な栄養塩のもとで植物プランクトンの光合成が活発に行われており、そこで生産される有機物を糧として多くの生物が生息しています。そのため、環境の変化によって植物プランクトンの光合成量が変わると、他の生物にも影響が及びます。気候変動もその誘因の一つであり、私たちの予測結果では、栄養塩の減少や生物生産性の低下など現在の瀬戸内海の水環境問題が気候変動によって悪化することが示唆されています。これまでは陸域の人間活動が原因で増加した栄養塩の削減が対策の中心でしたが、今後は気候変動に適応した「きめ細やかな水質管理」が必要と考えられます。
1. 植物プランクトンと栄養塩の関係
海の水質はそこに生息する生物と密接な相互関係があります。その代表例が植物プランクトンと栄養塩(窒素やりんなど)の関係です。植物プランクトンは海の主要な生産者であり、陸上植物と同様に光合成を行い、光エネルギーを利用して無機物の炭酸と栄養塩から有機物を生産します(一次生産または基礎生産と呼ばれています)。それを糧として植物プランクトンは細胞分裂して増殖しますが、一次生産が進むにつれて海水中の炭酸と栄養塩は消費されていきます。一般的に海水中の栄養塩は炭酸に比べて少ないため、栄養塩の枯渇が先に生じて一次生産が止まることになります。その過程では、植物プランクトン同士、また海草や海藻など他の植物との間で栄養塩の取り合い、すなわち生存競争が起きています。
植物プランクトンなどによって生産された有機物は、それを捕食する動物の餌・エネルギー源でもあり、食物連鎖を通じて魚類などの高次生物の生産へと繋がっていきます(二次生産と呼ばれています)。そのため、植物プランクトンの一次生産は海域全体の生物生産性を表す指標ともいえます。光合成は光エネルギーを必要とするため、太陽光が届く深さまでが一次生産の場となりますが、その影響は浅いところに生息する動物だけに留まりません。有機物は海水中で沈降するからです。食物連鎖の過程で一部は糞や死がいに形態が変わりますが、こうした有機物が海底とその近傍に生息する水生・底生動物の餌となっています。このように一次生産は鉛直方向の物質循環にも重要な役割を果たしており、専門家の間では炭素を海底に運ぶ「生物ポンプ」とも呼ばれています。
2. 過去・現在の閉鎖性海域の水環境問題
閉鎖性海域の水環境問題で代表的なものといえば「富栄養化」であり、SDGs の目標14「海の豊かさを守ろう」でも取り上げられています。富栄養化は、水域の栄養塩が過剰になる現象のことであり、自然の変動で生じることもありますが、人間活動による排水等の影響を受けて急速・大規模に進行したものが環境問題となる場合があります。日本では1960 ~ 70 年代の高度経済成長期に生活排水や産業排水が急増し、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海をはじめ閉鎖性海域の水質が著しく悪化しました。陸域からの過剰な栄養塩の流出が植物プランクトンの異常増殖、すなわち赤潮を引き起こしたのです。これによって深刻な漁業被害も発生しました。また、赤潮由来の大量の有機物の沈降・堆積によって、海底の環境も著しく悪化しました。堆積した有機物は微生物によって分解されますが、その過程で海水中の溶存酸素が消費されます。大量の有機物分解により、酸素欠乏が生じたのです。溶存酸素量が乏しい水を貧酸素水塊と呼びますが、これによって二枚貝など移動性の低い底生動物の大量斃死が発生しました。このように富栄養化は、一次生産自体は増えるものの、それが過剰に進むと他の生物にとっては弊害となり、海域全体の生物生産性の低下をもたらします。
その後の排水規制や総量削減等の長年の取組みによって水質改善が進み、多くの海域で「きれいな海」が実現しつつあります。しかし、大量の生活排水が流れ込む大都市直下の東京湾、伊勢湾、大阪湾では、依然として夏期に赤潮や貧酸素水塊が発生しています。負荷の削減は進められてきたものの、なかなか湾奥等で水質改善が進まない状況が続いています。その一方で、2000 年代に入ると、瀬戸内海の播磨灘や有明海などで冬期の栄養塩濃度の低下が原因と見られるノリやワカメの色落ちが頻発化しました。季節や場所が違うところで、富栄養化とは逆の問題が発生したのです。他の漁獲量も低迷が続いており、水質は良くなっているものの、生物生産性に回復傾向が見られないといった新たな課題が生じています。そのため、現在は「きれいで豊かな海」、すなわち水質の保全と生物多様性・生物生産性の確保の調和・両立に向けた取組みが始まっています。
3. 気候変動が水質や生物生産性に及ぼす影響は?
近年、気候変動の影響が顕在化し、日本周辺における海水温の長期的な上昇傾向が報告されています。閉鎖性海域においても全国各地で水温上昇が検出され、それに伴う生態系の変調も見られます。では、水温上昇による他の水質、一次生産や栄養塩への影響はどうなのでしょうか?
水質への影響が予想される気候変動は水温上昇だけではありません。上述のとおり、閉鎖性海域の水質は陸域からの流出の影響を強く受けます。日本では、気候変動によって豪雨の頻発化や無降水日数の増加、すなわち「降れば洪水(土砂降り)、降らなければ渇水(干ばつ、水不足)」といった降水の二極化が更に強まることが報告されており、それに伴って陸域から海域への水や栄養塩の流出が変わることも十分に予想されます。また、気象や外洋の変化による閉鎖性海域の流れや物質輸送への影響も考慮する必要があります。
以上を踏まえて私たちは、大気、海洋、陸域の変化が閉鎖性海域の水質に及ぼす影響を包括的に予測するための陸域-海域統合モデルを開発するとともに、気候変動の影響予測シミュレーションを進めています。そのうち、瀬戸内海の予測結果についてはA-PLAT(気候変動適応情報プラットフォーム)にて公開しています。ここでは、植物プランクトンの一次生産と栄養塩に着目して予測結果を紹介しますが、予測シミュレーションの詳細や他の水質の予測結果についてはA-PLAT「瀬戸内海の水環境への気候変動影響」をご参照ください。
予測シミュレーションは、20 世紀末の現在気候と、IPCC の4つのRCP シナリオ(A-PLAT「気候予測について」https://adaptation-platform.nies.go.jp/map/guide/about_rcp.html に詳しい説明があります)に基づく21 世紀末の将来気候において、それぞれ20 年間ずつ行いました。予測の前提条件として、生活排水や産業排水など降水に依存しない人為的な負荷は、現在と変わらないものとしました。生物については、モデルですべてを取り扱うことはできませんので、植物プランクトンのみを考慮し、室内培養実験で詳細な増殖特性が明らかにされた3 種を対象としました。
以降の予測結果の記述では、最も昇温傾向が強いRCP8.5 の将来気候を対象とし、気候変動の長期的な影響に着目して、現在気候から見た将来気候の各種平均値の変化を記します。
(1)陸域からの流出
閉鎖性海域の水質を強く左右する陸域からの流出については、年間の流出量で見る限りでは、淡水と栄養塩のいずれにも有意な変化が見られませんでした。入力した年間の降水量に有意な差がないことに加え、降水とは無関係の人為的な負荷の影響が強いことが原因です。しかし、降水の二極化に伴い、流出の年々変動が大きくなる傾向が見られました。そのため、特に陸域からの流出量が多い瀬戸内海東部において、水質変動の極端化が予想されます。
(2)水温
水温については、瀬戸内海全域で年間を通じて3 ~ 4℃の有意な上昇傾向が見られました(図1)。季節別では夏の昇温が比較的大きい傾向があり、閉鎖性が強い瀬戸内海の中央部や水深が浅い大阪湾・周防灘の奥部などでは、将来気候における8 月平均の表層水温が30℃を超えると予測されました。
(3)植物プランクトンの一次生産
上記の水温上昇は、一次生産の季節性を変えるほどの大きな影響が予測されました(図1)。私たち人間もそうですが、生物の活動は温度にも依存しています。植物プランクトンにも増殖が可能な温度の範囲と最適値があり、水温が最適値に近いほど増殖が速くなります。種によって値は異なりますが、代表的な優占種は概ね20 ~ 30℃付近の温かいところに最適水温があり、夏に赤潮が発生しやすいことと関連しています。本予測では、冬・春の水温上昇は植物プランクトンにとって適温に向かうため、一次生産が活発になる傾向が見られました。一方、夏・秋については、水温上昇が適温から遠ざかる方向に働き、特に水温が30℃を超える上記の高温海域において一次生産が顕著に減少すると予測されました。これは猛暑の頻発化が海域の生物生産性を下げることを示唆しています。
(4)栄養塩
栄養塩は上記の一次生産の変化に対応する傾向となりました(図1)。すなわち、夏・秋に一次生産が低下する海域の栄養塩濃度は増加傾向となり、栄養塩が生物生産に利用されないまま潮流によって外洋に流出しやすくなると予測されました。一方、冬・春に一次生産が活発になる海域では、栄養塩濃度が減少する傾向が見られました。冬期の栄養塩濃度の低下が原因と見なされているノリやワカメの色落ち問題は、気候変動によって頻発化する懸念があります。
他にも大阪湾の湾奥で発生する貧酸素水塊に関しても一次生産の変化と対応が見られ、夏・秋は底層の溶存酸素量が若干増加する傾向が見られましたが、冬・春は逆に減少傾向となり、結果的に年間の貧酸素水塊の発生期間は長期化すると予測されました。それも含め、ここで示した予測結果には近年の瀬戸内海における水環境の変化と類似点が多く見られます。偶然の一致か、本当に気候変動の影響なのか、予測の不確実性も含めて今後詳細に検討する必要がありますが、少なくとも本予測結果は気候変動が瀬戸内海の水環境問題を悪化させる方向性を示していることについて留意が必要です。また、閉鎖性海域は海域ごとに特徴が異なるため、他の海域でも同じ気候変動の影響が生じるとは限らないことにも注意してください。
4. 栄養塩類の削減から管理へ
2021(令和3)年6 月に瀬戸内海環境保全特別措置法の一部が改正されました。この法改正では、本予測の成果も参考にした検討が行われ、今後の瀬戸内海の環境保全は気候変動の影響を踏まえて行わなければならない旨が基本理念に追加されています。また、「きれいで豊かな海」に向けて地域性や季節性等に応じた「きめ細やかな水質管理」を可能とする「栄養塩類管理制度」が新たに創設されました。周辺環境の保全が義務づけられてはいるものの、これまでの一方的な削減とは異なり、必要とする特定の海域に栄養塩類を供給することも可能となりました。この制度は気候変動への適応にも通じるものがあり、最適な水質管理に向けた研究を今後進めていきたいと思います。
1)A-PLAT(気候変動適応情報プラットフォーム) 「瀬戸内海の水環境への気候変動影響」
2)EIC ネット 2021 年瀬戸内海環境保全特別措置法改正(環境省水・大気環境局水環境課閉鎖性海域対策室)
3)笹川平和財団海洋政策研究所 Ocean Newsletter 第506 号 豊かな瀬戸内海に向けた新たな制度について(広島大学名誉教授、放送大学名誉教授 岡田光正)