インタビュー適応策Vol.50 新潟県

田んぼダムで豪雨による水害から町を守る、米どころ見附市の挑戦

取材日 2024/6/3
対象 見附市 農林創生課 農林整備係 主査 川上 一幸
新潟大学 自然科学系(農学部)教授 吉川 夏樹
一般社団法人 農村振興センターみつけ 椿 一雅

「田んぼダム」とはなんでしょうか。

吉川先生:水害が発生するような大雨があったときに、水田に一時的に雨水を貯留してゆっくり外に出すことで、河川の氾濫をできるだけ軽減させ、下流側の市街地や畑地などを水害から守る仕組みです。

田んぼダムは、2002年に新潟県の、現・村上市で始まりました。水害に遭いやすく、かつ、水田がたくさんある町です。農業の生産性を高めるための農地の整備(圃場整備といいます)の要望が生産者から挙がった際、農地の下流域住民から、排水性を向上すると水害のリスクが高まるのではないか、といった意見が寄せられました。こうした懸念を払拭するため、大雨の際の雨水の流出量を抑える取り組みとして、田んぼダムが合意されたという経緯です。

当時私はまだ東京にいたのですが、新潟大学に着任が決まったとき、より科学的に、かつ定量的に田んぼダムを評価することによって、ローカルな取り組みではなく全国の水害対策に役立つポテンシャルを持つ取り組みになるのではないかと考えました。それで研究を始めたのが最初のきっかけです。

吉川夏樹先生の写真
吉川夏樹先生

具体的には、どのようにして水田を田んぼダムにしていくのでしょうか。

吉川先生:水田の排水管に排水量を調整する器具を取り付けるだけで、時間をかけて雨水を流すことが可能になります。

そもそも水田の目的は洪水調整ではなく米の生産ですので、営農に影響があるようでは、田んぼダムを採用してくれる生産者さんはいません。

田んぼダムの排水量調整器具にはさまざまな形式があります。最初に見附市が採用した従来の調整管は、横に孔が開いておりました。孔の下端を設定したい水位に合わせて筒を上げ下げするだけで管理ができるので楽ではありましたが、小さな雨でも排水量が抑制され、雨が大きくなればなるほど水の出る量も大きくなることから、あまり良い仕掛けではありませんでした。

そこで2011年に私が開発し,見附市の田んぼダムに導入されたのが現在のタイプです。従来の排水管に漏斗型の装置を入れたことで、大雨が降ったときに流出が抑制されます。

水深にして3センチ以上にならなければ、この流出抑制機能は働かないように作られています。つまり、普段の小さい雨については効果を発揮しません。たくさん雨が降って調整管の中に大量の水が入ってきたときのみ、小さな穴が水の出る量を制限して、ピークカットされるという仕組みです。

水田に水が溜まりすぎて畦を越えたらどうするんだ、と心配されることもありますが、畔の高さは約30センチ。200ミリの雨が降っても10センチほどしか溜まりませんので、滅多なことで畦をこえることはありません。

フリードレーンタイプの調整管
フリードレーンタイプの調整管。筒の中が漏斗型になっています
排水の様子
これまでは排水溝に設置されている黒い調整管を持ち上げることで水位を調整していましたが、現在はその作業も不要です

水田に、平時より多くの水が数日間溜まることについて、稲への影響はないのでしょうか。

吉川先生:田んぼダムを実施することによる稲への影響はありません。仮に、水田の周辺が湖のような状態が数日続けば、減収といって米の収量が落ちます。穂が出ている時期に穂が水に浸かると減収してしまうのですが、穂が出る時期の稲の背丈は60センチから80センチなんですね。畔の高さが最大で30センチなので、それ以上水田に水が溜まることはありません。

また、水田から水を抜いて土を乾かす『中干し』の時期に短時間水が溜まっていたところで、こちらも収量にほとんど影響はないです。そのあたりはきちんと説明をして、生産者のみなさんの不安を取り除く必要があります。

黒い調整管の話をする吉川先生

見附市における田んぼダムの普及率はどのように変化していますか?

川上さん:毎年度、見附地区圃場施設維持管理組合にお願いして、圃場整備されている区域内の田んぼダムの確認をしてもらっているのですが、そのなかで田んぼダムの普及率を確認すると、令和3年度が95.8%、4年度が96.0%、5年度は96.4%と、推移は上昇しています。

川上一幸さんの写真
川上一幸さん

椿さんはもともと見附市の職員で、田んぼダムを普及させた第一人者と伺っています。見附市に田んぼダムを広めていくことになった経緯をお聞かせください。

椿さん:見附市は平成16年7月13日の集中豪雨により、大きな水害に見舞われました。その年の10月には中越大震災にも見舞われ、冬には大雪の被害もあったんですね。1年で3回もの災害が起こり、当時の見附市長が防災を主眼に置いたまちづくりにシフトしていこうという思いを固めたという経緯があります。当時私は農業を担当しており、部局において防災対策ができないかと当時の上司が発案し、田んぼダムに取り組む流れになりました。

ただ私は、直感的に難しいと思ったんですね。自治体が推進したいと思っても、生産者のみなさんの協力が必要ですから。それでも市長をはじめ、なんとかやってみようということになり、いろいろと考えた末に、田んぼダムにしたいと思っていた流域を管轄していた公法人の土地改良区に協力を要請しました。

集中豪雨による被害の写真
平成16年7月13日の集中豪雨による被害(資料提供:道の駅パティオにいがた内 防災アーカイブ)

調整管設置の際、あるいは設置後のご苦労にはどのようなものがありましたか。

椿さん:見附市で最初に取り入れたのは、近隣の自治体ですでに採用されていた田んぼダム用の排水管で、生産者が管を上げ下げして水位を調整するものだったので、田んぼダムを「やる」「やらない」の選択が生産者の判断に委ねられていました。

数百本取り付け、設置の際にはニュースにもなり、さまざまなところから視察にいらっしゃる方も増えました。そこで、どのくらい効果があるのかを吉川先生にお願いして、検証していただいたんです。

すると、管は入っていても4割程度の生産者さんしか水位調整に協力していないという状況でした。さすがに半分以下となると、対策を講じなくてはなりません。

そこで吉川先生に相談をして、管を改良する運びになりました。それで誕生したのが、先ほど先生に紹介いただいたフリードレーンタイプの調整管です。しかしこれは従来のように手動で調整するものではないので、導入してしまったら「田んぼダムをやらない」という選択肢はありません。

椿 一雅さんの写真
椿 一雅さん

川上さん:そこで生産者のみなさんに経済的・人的負担をかけないための具体的な取り組みとして、調整管1本あたり500円の維持管理費をインセンティブとしてお支払いすることになりました。もちろん調整管の購入費や設置費等、初期費用の約1500万円は市が負担して、維持管理についても先ほど述べました見附地区圃場施設維持管理組合に年間170万円の委託費を支払って実施していただいています。そのほかにも、田んぼダムにとって最も重要な畔の補強などには、多面的機能支払交付金の中の「水田の雨水貯留機能の強化の促進」を利用しています。

また、生産者の不安解消も最重要課題となっていました。田んぼダムは通常より長時間水を貯留するので、稲に悪影響はないのか、畦の強度は確保できるのかなど、不安を抱えてのスタートとなります。さらに、田んぼダム事業で恩恵を受けるのは主に下流の地域です。そこで生産者さんとの合意形成を図るため、土地改良区の協力を得ながら、丁寧に説明して了解を得て、着手していったという経緯があります。

椿さん:行政がやりたいことを、生産者のみなさんの理解を得てやるのだから、やりたい人たちが支援をしなければいけないという考え方ですね。見附市の田んぼダム事業は、これらの工夫のおかげで幸いなことに高い設置率をキープすることができています。

吉川先生:椿さんにお話を伺うと、生産者の方もこの調整管をつけていることすら忘れているほど、なんの支障もないとのことです。平成22年に始めて14年目になりますから、調整管をつけることすら自然になっていますが、そこまでもっていくことがとても重要だと思います。

川上さん、農家の人の写真

田んぼダム以外の取り組みにはどのようなものがありますか?

川上さん:平成16年7月の水害以降、新潟県は刈谷田川の蛇行部分の改修、遊水池の整備をおこないました。見附市は雨水貯留管の設置を実施し、平成22年から田んぼダム事業を始めたという流れです。貯水ダムのように大量の水を貯留するものではありませんが、取り込み面積が大きくなればなるほど、大きな効果を発揮していくと思っています。

平成16年の水害以降、田んぼダムを実施してから、大きな水害はありましたか?

川上さん:平成29年7月3日の朝、76ミリの短時間集中豪雨がありましたが、河川の氾濫などの被害はありませんでした。

田んぼダムは通常、下流側で効果が発現されますが、短時間集中降雨では上流での効果が大きいといわれています。このときの上流側(見附市)の浸水量軽減率は14.8%という数値が出ており、やはり整備による効果があったといえると思います。

平成16年7月の大雨で氾濫した刈谷田川の写真
平成16年7月の大雨で氾濫した刈谷田川

見附市における田んぼダムの現状に触れつつ、椿さんが今後に望むことはありますか。

椿さん:職員時代にやり残したのは、やはり市街地の住民の方々が田んぼダムに少しでも協力してくれるような仕組みを作れなかったことです。協力金や維持管理のサポートなど、生産者のメリットになる仕組みは作れたのでよかったのですが、お金だけでなくやりがいも取り組みを継続させるために必要ですから。たとえば下流の人たちが生産者のみなさんにお礼を言える環境づくりや、あるいは田んぼダムで作ったお米を少し高く買ってもらう仕組みなど、さまざまな協力の仕方があると思います。

安価に実施できるという意味でも、田んぼダムは本当に良い取り組みです。管を取り付けるだけでできるのだから、みんなやればいいじゃない?というのが私の考えです。減少を続けている、農家が少ない農地を守るために、一致団結して取り組むことで、何か変わるかもしれないという期待を持っています。

吉川先生、椿さんの写真

最後に、今後の展望はありますか。

川上さん:田んぼダム事業を進めていくうえで、生産者に負担をかけないということが継続して必須だと思っています。見附市の水害抑制・防止のための事業として、田んぼダムは非常に高い効果が望めますので、今後も引き続き力を入れて進めていきたいです。

吉川先生:現在私たちは、全国普及を目指して、田んぼダムがどういったところで効果を発揮するのか、その定量化と適地の選定をしています。たとえば海の近くの水田や、下流側に守るべき資産がない水田で田んぼダムを実施しても、あまり大きな効果は望めません。ですから、どういったところに大雨の被害が出ていて、それを軽減させるためにはどこで田んぼダムを実施するのが有効かということを特定するための簡便な評価モデルをつくっているところです。これを使えば各自治体や土地改良区が、どこでやればどのくらい効果が出るのかをすぐに算定することができます。

私が田んぼダムの研究を始めたころ、気候変動にともなう雨の降り方の変化が各地で見られ、ゲリラ豪雨という言葉が生まれました。加えて日本の社会構造自体が大きく変化し、地域から人がいなくなり、農業の担い手も減少し、耕作放棄地の増加についても問題視されてきたのです。そうすると、いわゆる多面的機能、最近では生態系サービスとも呼ばれますが、水田の洪水調整機能が失われてしまうという危機感も当初から持っていました。

田んぼダムは農地資源管理のひとつのツールだとも思います。中山間地域はどんどん疲弊していて、このままいけば、多くの水田農業は衰退の一途を辿るでしょう。そうすると食糧供給の問題のみならず、先ほど申し上げた多面的機能、調整サービスなども失われていきます。いろいろな意味で水田の価値を上げることはとても重要なのです。そういう思いでこれからも、研究を続けていきます。

パノラマ写真

この記事は2024年6月3日の取材に基づいています。
(2024年8月19日動画掲載 / 2024年7月25日掲載)

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